志村けんさんが残してくれたもの

  • 2020年05月13日

こんにちわ

中野特殊刃物工業の中野由唱です。

 

2020年3月29日

新型コロナウィルスの感染で 志村けん さんが亡くなった。

「東村山音頭」でも知られる、東京都東村山市出身 70歳だった。

普段 テレビはほとんど観ない私だが、志村けんさんがどれだけ多くの人から愛されていたかはその後のtwitterニュースを見て分かった。

「一時代を築いたコメディアンは社交的と言うよりシャイで、むしろ内省的」と書かれていた。

テレビの中でしか知らない私は コメディアンは皆 社交的とばかり思っていた。

志村けんさんは 自分の存在理由をトコトン考えるから、逆に利他的になれる。ともあった。

そこから私自身の存在理由を考えてみる

「由来を唱える」という 由唱(よしあき)の名から父の始めた刃物屋で育った私は刃物の日常の役割 と 刃物の先人たちの知恵を伝えることが天命と思っていた。

しかし先日、私がプロデュースした包丁を購入して使ってくれたお客さんからFB投稿で、その切れ味に「素晴らしい」と高い評価を貰った。

 素直に嬉しかった。

これからは「顧客のため」ではなく「顧客の喜び」を知るという姿勢が必要なんだ、と感じた。

 

今回の新型コロナウィルスが終息しても、今後 消費者の行動は慎重になるだろう。

命の危機に直面して「何とか自分だけは助かりたい」という利己的な思いが私の中をよぎった。

だからこそ、本当の優しさが人々から求められるのだろう。

 

自分が嫌なことはどんな場面でも他人にしてはならない。

私は そう思って仕事をしてきた。

「大量生産、大量消費」の20世紀モデルから「量より質」の21世紀モデルへ と言われながら、なかなかシフトが進んでいないのが現実。

ウィルス感染はゴメンだが、これまでの社会の断捨離を推し進め、真の価値ある社会へシフトさせたいものだ。

 

志村けんさんは生前こんなことを言ってたそうだ。

「人を笑わせるのではなく、笑われるのが好きなんだ」と。

 

顧客の喜びを優先する喜劇王の言葉は、まさに利他的で優しさのあるマーケティングを私に示してくれているようだ。

コロナと向き合っているうちに 「つらい人を何とか助けたい」という利他的な思いが私の中から引き出されて仕事にも生かしたいと思った。

志村けんさん、ありがとうございます(合掌)

by 中野由唱 よしどん

新型コロナで来客減 その時気付いたこと

  • 2020年04月12日

こんにちわ

中野特殊刃物工業 代表で 研師 の 中野由唱 です。

私が家業を継ぎ、刃物の世界に飛び込んでから42年になります。

 

社会人1年生から刃物を勉強出来たことは、

私にとって何よりの財産です。

それは生産現場のお客さんから相談を受けた際、視点が人間より刃物に徹することが出来るから。

つまり「刃物を使う人はどうなのか」を「刃物的にどうなのかなぁ」と置き換えられる、ということ。

そしてそこが強みになる。

 

家具メーカーや住宅メーカー、製材工場や製紙工場などに機械刃物を提供しメンテナンス(刃物の修理、研ぎ直し)をするのが主な仕事。

さらに

  • 農業収穫
  • 水産加工
  • 食品加工

刃物の仕事は需要範囲が広いのです。

そして最近ではこんな仕事も加わりました。

  • カバン製造
  • ゴルフクラブ製造
  • 生薬製造

 

 

これらの仕事に刃物が活かされているのです。

 

私は時々この生産現場に提案して、刃物仕様の変更をお願いすることがあります。

 

材料のひき肌がきれいになり、歩留りが向上し生産工程を短縮することで働く人の向上心をアシストすることにもなります。

 

仕事が楽しくなると、仕事への意識が劇的に変化する。

目には見えないことですが、楽しくなる仕事をしてもらう。

これは大切なことです。

 

新型コロナウイルスの出現で来店客が激減して、振り返る時間が出来た私です。

 

今、何が大切かをしっかり見極めようと思います。

 

by 中野由唱 よしどん

 

せっかく日本人なんだから

  • 2020年03月17日

こんにちわ

中野特殊刃物工業 代表で 研師 の 中野由唱 (Nakano Yoshiaki) です。

今日は日本人なら 是非 知って欲しいことを お話します。

日本には奈良時代 (西暦710年~) から日本刀に由来する

鋼(はがね)の文化があります。

切れ味と刀身の美しさを求める 日本刀は

世界に類を見ない、日本特有の文化なのです。

そしてその素晴らしさは、日本人よりもむしろ外国人の方が知っているのです。

世界的に高まるヘルシーな和食の人気も手伝い ゾーリンゲン刃物のドイツからもシェフが

日本に切れ味の良い日本の包丁を求めて来日するほど。

今や、世界中から注目を集める日本の鋼 (はがね) 包丁です。

では、その本家本元の日本の実状はどうなのかというと、、、、

プロ・アマを問わず料理をするほとんどの人が切れない包丁を

無理して

我慢して

力を入れて

使っているのです。。。

これはもったいない!

せっかく日本人なんだから

日本の包丁を使って欲しい。

使えば切れなくなるのが刃物です。

砥石を使った手研ぎの技は、世界にはない日本だけのもの。

刃物は研ぎながら使うしかないのです。

質の良い日本の包丁を20年、30年と長く使ってもらいたいものです。

日々のちょっとした気遣いが、あなたの「包丁ライフ」をより楽しく健康的なものに変えてくれますよ。

中野特殊刃物工業で包丁を購入されたお客様に渡している注意書きを紹介します。

(どなたにでもできますよ!)

 

包丁のお手入れ

  • ◎清潔にしておくことが大切です。
  • ◎使用後は、すぐに洗いよく水気を拭き取り乾燥させてから収納して下さい。
  • ◎食器乾燥機・食器洗浄機などには対応しておりません。
  • ◎火であぶったり、火の当たる場所などに保管しないで下さい。

以上、切れ味が悪くなる原因になりますので、ご注意下さい。

中野特殊刃物工業(株)研師 中野由唱

 

How to take care of your knife

◎It is important to keep it clean.

◎Please clean, wipe off water, and dry your knife after each use.

◎This knife is NOT dishwasher-safe or dishdryer-safe.

◎Please keep your knife away from flame.

Please take good care of your knife to keep it sharp for a long time.

 

It is important to wipe off the water.

 
Yoshiaki Nakano, Knife Grinder

Nakano particular Blade Industry Co.

 

食べることは生きること!
切れ味のいい包丁で、毎日の料理を楽しくしてください。
 

by 中野由唱 よしどん

蕎麦の歴史は9000年

  • 2020年02月16日

こんにちわ

中野特殊刃物工業 の 代表で 研師 中野由唱 です。

2020年4月に札幌で北海道新聞社主催 文化教室【日本刀の講座】の序章を担当することになりました。

そこで、代表的な日本刀にまつわる歴史話をします。

忠臣蔵は誰もが知る元禄の世の出来事。

でも、1702年の吉良邸討ち入りの時代にそば屋は存在しなかった。

では、そば屋はいつからあったのか?

素朴な疑問が湧いてきて、蕎麦について調べてみた。

日本人の主食と言えば米、稲作の始まりは今から3000年ほど前の縄文時代。

では蕎麦は?と言うと、なんと約9000年前から!

高知県の遺跡から9300年前のそばの花粉が発見されているのです。

【そばの殻はめちゃ硬い】

殻があまりに硬いことから、蕎麦は主食と言うよりも凶作のための備蓄食品として栽培されさいました。

鎌倉時代(1185年〜)になって中国から石臼が伝わり、そば粉の大量生産が容易になったのです。

でも当時は「そばがき」や「そば焼き餅」といった団子や餅の形状で食べられていました。

 

現在のように麺状の蕎麦が登場したのは室町時代(1378年〜)との説もありますが、はっきりと資料に残っているのは江戸時代(1603年〜)のもので日本最初の料理本、「料理物語」です。

西暦1643年(寛永20年)に出されたこの本には蕎麦切り(麺状のそば)の作り方が書かれています。

そしてその当時、麺状のそばはお湯で茹でるのではなく蒸籠で蒸していました。

 

現在も「もりそば」を「せいろそば」と呼ぶのはその名残りなんです。

ただ当時はまだ蕎麦よりうどんが主流で、そば屋が一般的になるのは、いわゆる二八そばが出てくる元禄15年より少しあとのことです。

 

十割そばは、そば粉を糊化させたものを「つなぎ」としてそば粉だけで作った蕎麦のこと。

切れ易く蒸籠に乗せて蒸し、そのまま客に出す形の蕎麦が主流だった。

 

江戸時代の後期(1730年〜)になってそば粉と小麦粉を混ぜた蕎麦が広く出回り、現在のように茹でる蕎麦が主流とって屋台のような一杯ずつ出す形の蕎麦が完成したのです。

 

二八そばの名称の由来は粉の割合から、

当時一杯が16文だったことから(2×8=16)のニ説ある。

「蕎麦切り」を今は単に「そば」と呼んでいます。

昔も今も変わらないのは、十割そばでも二八そばでも 蕎麦切り包丁 の切れ味が良いと、切った麺が角張って〝のどごしスッキリ〟で旨さが増します。

 

当時の蕎麦切り包丁はどんなで、どんな研ぎをしていたんだろうか。

思いは無限に広がります。。。

by 中野由唱 よしどん

 

右利き、左利き、あなたはどっち

  • 2020年01月18日

こんにちわ、中野特殊刃物工業(株)代表取締役の中野由唱です。

1955年生まれの私は、子どもの頃は左利きだった。小学校入学を前に大正生まれの両親から、『箸と鉛筆は右手で使いなさい』と言われて、、、右手使いを特訓した。

 

自分の名前をチラシの裏に書いて、書いて、書いて。

左手を身体に縛り付けて、右手だけでの食事。

まるでテレビアニメ「巨人の星」で飛雄馬が父一徹に左投げの猛特訓を受けるシーンみたいだった。(もっとも私の方がアニメより先ですけどー)

 

10日ほどで箸と鉛筆は右手でも使えるようになった。

私と年子の姉も左利きで同じ経験をしている。

私と同じか上の世代の人には珍しくない話なのでしょうが。

 

なぜ無理矢理 左から右にする必要があるのか、正直言って親には反発していた。

そして、ここから性格が湾曲してしまった、と自己診断しています、、、笑

 

でも、これがきっかけで「訓練で利き手は変えられるもの」とインプットされた私はその後、次第に人間に利き手があること自体疑問に思うようになっていったのです。

 

私が小学生の頃、スポーツと言えば

◾️野球

◾️ドッヂボール

◾️冬のスキー

ぐらいでした。

でも、中学校に入ると色んなスポーツに触れる機会が出来ます。

⚫︎卓球

⚫︎バトミントン

⚫︎バレーボール

⚫︎バスケットボール

⚫︎サッカー

と全て、両手両足でプレーしました。

当時(昭和42年)大流行だったボーリングも教えてくれた義兄が右利きだった、と言うだけで右で覚えて、、、でもいつしか左になっていたんですけどね!

 

こんなエピソードがあります。

中学の3年間私は野球部でした。

野球の場合、左利きだと守備のポジションが限定されます。

投手か

一塁手か

外野手かって

自分の可能性が摘み取られるようでいやだった。

それで野球だけは右でプレーしてました。

(結局3年間外野手でしたけど、、)

 

それが中2の夏休み前、部活終了後の雑談でコーチの先生が「うちのチームには左が居ないなぁ」と。

そこで私をよく知るチームメイトの沢谷君がひと言、「先生、中野は本当は左なんです」と。。

先生の目が一瞬光ったように見えました⁉︎

結局、それまで補欠だった私は『左と言うだけでライトのレギュラーをゲットしたのです。

 

翌日から右投げ右打ち→左投げ左打ちに転向。

中2の夏休みは

右手にはめるクラブの感触とボールのキャッチング

左打席でのクリップとスイング

と、この2つをテーマに猛特訓に明け暮れたことは言うまでもありません。

 

『人間は手も足も左右同じものを持っているのだから、左右同じように使えて当たり前』

今も私はそう思っています。

 

私の仕事は、機械の仕様や用途に合わせた刃物の設計・メンテナンス。

つまり、刃物を研ぐと言うこと。

 

機械刃物の種類は20ほど、材質ちがいやサイズちがいを加えると100種類。

再研磨や成型加工は刃物の種類に応じて専用研磨機を使うのですが、刃物には右回転と左回転のもの。右向きと左向きのものがあります。

機械によって左右対照の操作を必要とするものもあり、私には好都合!

 

でももし左右どちらかしか使えないとしたら、作業に合わせた治具をたくさん用意しなければなりません。

その時間と費用は大きい負担になります。

 

日本刀や包丁を研ぐ時も左右両手を使えることは、刃渡りの長い太刀や形の特殊なそば包丁・中華包丁を研ぐ場合かなり有利になります。

 

60歳を過ぎた今「私は選ばれた人間なんだ」と強く感じるのです。

私にしか出来ない仕事で、周りの人たちをしあわせにしよう!

 

研ぎの修業の終わりが見えて来ないのも、私の刃物人生がまだまだ続くと言うことなのでしょうね。

 

by 中野由唱 よしどん

 

 

 

 

12月13日【正月事始め】は 赤穂浪士も例外ではなかった

  • 2019年12月12日

こんにちわ

創業62年の刃物専門店 中野特殊刃物工業 研師 中野由唱です。

 

巷ではお歳暮商戦真っ只中ですが、お歳暮とは「正月のお供え物という役割でもあった為、12月13日から贈るようになった」と何かに書いてありました。

 

12月13日は昔から正月の準備を始める日、つまり「正月事始め」の日なのです。

 

すす払い

一年の汚れを落として歳神様をお迎えする為の儀式。

大店(おおだな)ではすす払いできれいにし終えたら店主を胴上げして祝宴を催した、とか。

一年の汚れをきれいに落とせば落とすほど、正月に歳神様が多くの福を与えてくださる。と考えられていました。

 

松迎え

歳神様をお迎えする為の門松や、おせち料理を作る時に使うかまど用の薪を取りに行く日。

今では門松やしめ飾りを家庭で作るのは珍しくなりました。

 

年男

その家で先頭を切って正月準備を行い、みんなを仕切る家長のこと。

迎える新年の干支に生まれた人のことではありません。

年男は現場仕事で、力も体力も必要なので歳を取った家長から次第に長男だったり、奉公人の若い男性が役割を担っていったそうです。

今ではお母さんが年男、という家庭も多いのではないでしょうか。

 

つまり12月13日という日は

  • すす払いをして
  • 松迎えの為に薪を取りに行き
  • 年男が陣頭指揮をとる

正月準備の初日という大切な日なのです。

 

今から317年前の五代将軍徳川綱吉の世 元禄15年(西暦1702年)12月14日に現在の東京都墨田区本所にあった吉良邸では正月事始めを終えたばかりの招待客と100人程の家来も含めて大茶会が催された。

 

赤穂浪士の討ち入りの日は、ただ偶然に吉良邸で茶会があった日ではなく日本人の風習・習慣を大切にする心がそうさせた、必然のその日だったのです。

慶長8年(西暦1603年)2月12日、徳川幕府樹立から実に100年目のことです。

 

歴史は過去の出来事です。しかし時は太古の昔から延々と繋がっているもの。

 

時も人も「間」という空間ですべてが繋がっている、だから「時間」と「人間」なんだ。

 

日本刀を眺めていると、300年という時間は紛れもなく繋がっている。

と、そう感じた令和元年 師走の12日の深夜です。

 

by 中野由唱 よしどん

第52回刀剣研磨研修会で得たこと

  • 2019年11月24日

こんにちは中野特殊刃物工業の中野由唱です。

創業62年の中野特殊刃物工業は〝家具の街〟旭川にあって、長年 木工加工用刃物の設計と製作、メンテナンスに関わってきました。

ですが、あまり知られていない一面あるのです。それは食品加工用の刃物にも対応してきた、ということです。

20年前までは秋になると稲刈りのコンバインやビートの粉砕刃のメンテナンスに追われていました。

そして業務用のスライサーや包丁も研ぎました。当時包丁製造メーカーと同じように機械を使って仕上げていたんです。

 

私が砥石を使った『手研ぎ』に魅かれ始めたのはこの頃からです。

手研ぎ仕上げの滑らかさは、「機械では絶対に出せない」と、そう直感したからです。

そして、家庭の包丁がどれだけ無理して、我慢して、切れないまま使われているかを知ったのです。

それから徐々に業務用包丁から家庭用包丁にシフトして、今は年間1,200本ほどの家庭用包丁を研いでいます。

 

直線的な研磨機の動きに対して、人の手の動きは自然に曲線を描き滑らかです。

機械の動きとは異なっています。

 

実はこの自然の曲線が包丁にとって重要なことなのです。

それは日本刀の反りにも似た要素が含まれているから、、、、、

いかに、刃を持つ手に抵抗なく切れるかということ。

 

「手研ぎをもっと極めたい」という気持ちから日本刀研師の修業に入って9年。今年は日本美術刀剣保存協会本部の研修会に参加することを許されてたので、7月末に東京で研修を受けてきました。

日本刀は研師が意識して刃を付けるのではない。「自然体で研げば、自然に刃は付くもの」そんなことを学んだ日本刀仕上研磨の研修会でした。

 

東京から戻ると私はすぐに研ぎたい気持ちが湧き出して、手元にあった刃渡り27センチの牛刀で試してみました。

それまで意識したことは無かったのですが、確かに刃の曲線は自然に出るもの。

意識して造り出すものではないことを実感できました。

 

大切なことを実感でき有意義な研修でした。

日常の仕事を休んで、お客さんに仕上がりを待って頂きながらも、参加して良かったです。

 

玉ねぎを切ると涙が出る。ニンジンをきざむとまな板が真赤になる。

そんな世間の常識も、全ては切れない包丁が大前提なのです。

それは野菜の繊維をつぶしているから。

切れ味の鋭い包丁では玉ねぎも目にしみないし、ニンジンでまな板は赤くなりません。

包丁の本当の切れ味を知らない人が多いことは、勿体ないことです!

日本特有の文化である鋼(はがね)の技術。

砥石と研ぎ手の五感を使った手研ぎの技。

私がこの切れ味と技を伝えたいのはこんな人達です。

  • 世界の人々に伝えたい。
  • 未来の人々に伝えたい。
  • 隣家の奥さんに伝えてたい。

そんな思いを更に深めた2019年東京での研修でした。

by 中野由唱 よしどん

日本刀仕上げ研ぎの修行は果てしなく続く

  • 2019年09月11日

中野特殊刃物工業の中野です。

刃物の専門家として工業用刃物の設計や生産現場で、現状でどんな種類の刃物を使うと品質と作業効率が上がるか、などをアドバイスしています。

そして私は、チップソー(丸ノコ)やカンナのような機械刃物と包丁、日本刀を研ぐ研師でもあります。

 

42年で約2万本の包丁を研いで来ました。チップソー、カンナはその10倍、100倍?

数えたことはありませんが、包丁以上の数です。。

 

刃物を研ぐ仕事は、単純作業の繰り返し

になりがちで「マンネリ」という言葉がすっぽりはまってしまうほど。

それを打開する為、私はいつも「今より早く」「今より精度を高く」を心掛けています。

もちろん手抜きはなしで!

 

そしてもうひとつ大事にしていること。それは、砥石の使い方。

 

手研ぎの奥深さにに魅かれ、日本刀の研ぎの修業に入って9年。

最初は見るものすべてが未経験のことばかり。

中でも砥石の形が「かまぼこ型」?

これには驚きました。

 

砥石の研ぎ面が平らではなく、中心が高く四角(よすみ)が低くなってるんです。

それまで砥石は、使うと真ん中が低くなるので 平らにならして使ってました。

砥石は平らが理想型だと信じていたんです。

しかし、使ってみて直ぐにその意味が分かりました。

ハマグリ型の日本刀が、美しく研ぎ澄ますことの出来る訳が。

砥石の曲面に合わせるように刀身を縦に横に斜めに大きく揺らしながら研いでゆく、まるで三次元の世界だ。

 

常識は固定されるものではないことを教えられました。

 

7月に日本美術刀剣保存協会の仕上げ研ぎの研修に参加のため、梅雨明けして連日猛暑日の東京に行ってきました。

1年前から決めていたことを実行しました。

 

全国からプロの研師たちが19人、それぞれに経験を積んでいる方々ばかりで海外からの参加もありました。

天然砥石が基本の日本刀の研ぎ。

しかし、天然物はすでに枯渇して 今は京都周辺でわずかに採掘されるだけ。

いわゆる練り物に頼らざるを得ないのです。

 

ここでも 皆、砥石には苦労していました。誰かが話し出すと直ぐに砥石の選び方、使い方、その癖など各々情報交換の場にもなります。皆の真剣に「研ぎ」を学ぶ姿に圧倒されながら、私もまた真剣でした。

朝9時30分から夕方5時までの3日間の日程もアッという間でした。

 

砥石の使い方もそれぞれ少しずつ違います。

他人の研ぎをほとんど見たことがない私にとって、又とない勉強になりました。月末の忙しい時期でしたが、東京へ行ってよかったと思います。

 

世界中で日本にしかない「研ぎ」の文化、ハガネの魅力。

そして、切れの良い刃物を使うことが私たちの暮らしをもっと豊かにしてくれることをたくさんの人に知ってほしい。

私の夢に向かって、学びの心を持ち続け行動することの大切さを強く感じた『学びの旅』でした。

 

by 中野 由唱 よしどん

中標津で包丁研ぎイベント

  • 2019年08月23日

SNSで友だちになった 小柳ひろみさん(ひろみん)、ご主人と息子さんで町の電気屋さんこやなぎでんきを営んでいます。

3人とも私の包丁研ぎ教室の生徒さんです。

そんなこやなぎでんきさんが今年の2月、6月、に続いて8月25日に包丁研ぎ実演会を企画してくれました。

心を込めて研いだ包丁を、みなさんに喜んでもらえるのがとても嬉しいです。

包丁が切れるというだけで、料理がそれまでとは全く違う美味しさになるんです。そして苦手な人も料理が楽しくなる。

でも一番嬉しいのは、研ぎ上がった包丁を手にして笑顔で「この次はいつ中標津に来るの?」と言ってもらえること!

8月25日 日曜日 午前10時から受付は午後3時まで

包丁研ぎは一本1,000円〜2,000円が目安です。別料金ですが、そば包丁も研ぎます。

中標津町のこやなぎでんき店内にて 電気圧力鍋とヘルシオホットクックの実演もあります。

希望の方には、私がプロデュースしたオリジナル三徳包丁も販売します。

左利き用も用意しますので 初めての方も気軽に声を掛けてくださいね!

ベイシストのご主人による 前日24日のjazz nightも楽しみです🎶

それじゃみなさん8月25日中標津でお会いしましょう!

by 中野由唱 よしどん

包丁研ぎで心に潤いを

  • 2019年07月25日

忙しい毎日を過ごす現代人。

自分の周りの環境の景色や音、空気の匂いやそよぐ風、そういうもの感じている人 少ないんじゃないかな?私はたまに感じる程度です。

そして、それらはすべて五感で感じるもの。

研ぎ澄ます

という言葉があります。ほとんどの人は「耳をそばだてて、神経を研ぎ澄ます」などと心の動きを鋭敏にする意 と思っているでしょう。もちろん間違いではありません。

でも本来の意味は

刃物などを良く研いで、少しの曇りもないようにする。

つまり、刃物をしっかり研ぐことを研ぎ澄ますと言うのです。

そして、研ぎ澄ますことは五感を使うことなのです。

現代人は毎日の暮らしの中で、この五感をつかう機会がどんどんと無くなっています。人間だけが持つこの五感、大切にしたいですよね。

以前「包丁研ぎを教えてください」と妹背牛町の女性農業者グループさんから声をかけていただき、そのお一人が包丁研ぎ教室の感想を日本農業新聞北海道版に寄稿してくれました。

食と農 広がる輪 3年前のものですが、投稿者ご本人から了解を頂いたのでここにご紹介します。

「包丁を研ぐ時間」

一昨年、女性農業者グループ昴(うずら)で包丁研ぎ講習会を行った。全員が農家であり主婦であるメンバー、興味の度合いは言わずもがなである。

講師はその時包丁研ぎにはまっていた私の友人から、師とする研師を紹介してもらい旭川から招いた。

研ぎ方そのもの(持ち方・手順・研ぐ角度など)はもちろん、研ぐ前に砥石を30分以上水に浸けておくこと、包丁の保管の仕方(水気・湿気は厳禁)、木製のまな板が一番刃を傷めない、ということなど たくさんのことを教わった。

用意されたサンプルの包丁は当然だけれど、どれも切れ味抜群で 参加した8人のメンバーで代わる代わる試し切りすると、黄色い歓声が。切れ味の良い包丁だと野菜がより薄く細く切れるし、お肉がムニュとではなくサクッと切れる。

料理が楽しくなり、切る作業も安全になるのだ。

ユーモアもあり親しみやすいお人柄の研師は刀も研ぐとのことで、そのまなざしにメンバー一同すごみを感じた。それぞれ持参した包丁も蘇らせてもらって、感謝感激の講習会となった。

あとは自宅で練習あるのみで、さっそく自分なりに研いでみるも 刃の〝返し〟の感覚をつかむのにしばらく試行錯誤した。そのうちに普段使いの私の包丁は、研ぐ角度が間違っていた上に 持ち前の馬鹿力も手伝ってか、研ぎ過ぎてペティナイフのように小さくなってしまった。

そうして昨夏に、「昴(うずら)」メンバーで講師をしてくれた研師経営の刃物店に出掛ける機会があった。講習会に参加していなかったメンバーも、話を聞いて試し切りさせてもらうことができて、砥石や包丁を購入するメンバーも多数。

私も再度研ぎ方へのアドバイスをもらい鋼(はがね)の包丁を買った。大満足の切れ味の包丁は、毎日使う台所の相棒であり宝物になった。

日々は移り動いていて、雪解け時期からこの春は特に考えることも多く、気が付けば包丁研ぎから遠ざかりがちになっていた。

思い出したように久々に研いでみると、集中して刃と向き合う時間は不思議と心も落ち着かせてくれた。

「少し余裕が出て来たのかな」と、自分の内面とも向き合ってみる。切れ味もよくなり一石二鳥、これからも包丁を研ぐ時間を大切にしたい。

(橋向美月・妹背牛町の米農家)

五感を使った包丁研ぎは集中するとストレス解消にもつながります。

何でも簡単で手軽になっている世の中です。しかし簡単に研げるものは、簡単に切れなくなる。それが刃物です。

みなさんも研ぎ澄ますを是非実践してほしいものです。

by 中野 由唱 よしどん