左右両方が利き手でもOKだよね (その1)
- 2022年09月06日
久しぶりにブログを書いている北海道旭川の研師 中野由唱です。
私は生まれた時は左利きだったようです。
それから、成長するにつれ左右両方が利き手になりました。
では、これから子供の頃の事を思い出して書いてみますね。
昭和30年(1955年)11月5日に私は生まれた。
何処で生まれたかというと 新潟県北蒲原郡紫雲寺町稲荷岡で生まれたそうです。
これが当時の住所。。。長いです。
そのあとに数字が続いていたと思う。例えば 235-1とか 162-3 とか。
この住所は子どもの私にはとても難しくて書けなかった。
しかし、3歳の私はしっかり記憶していたようで、
「お住まいは?」と大人に聞かれると。。。
『はいっ、新潟県北蒲原郡紫雲寺町稲荷岡・・中野製材所が本家です』とはっきり答えたそうです。
今となっては私もよく憶えていないのですが、要するに私は新潟県の田舎で生まれました。
私の両親は揃って大正生まれで育ちも田舎。だから 私の両親は私が小学校入学の直前に 『左手を右手使いにする改造計画』に着手したのです。「ひだりっこぎ は人前に出られない、カ〇ワ者だ」とは母方の祖母(明治23年生まれ) の口癖。
今は偏見でしかありませんね。。。
当時はそれが当たり前だったのでしょう。
左手を縛られたり、左手で箸を掴むと叩かれたりして結構厳しかった。当時6歳の私は、なんて酷い親なんだ!と恨んでいました。でも、その右手使い計画は箸と鉛筆のことだけで終わった。そして、この事がその後の私に大きな影響を与えてくれたのです。
小学生の時はほぼ毎日近所の子どもたちや同級生たちと夕食(ゆうげ) の匂いがするまで外で遊んでいました。パッチ(メンコのこと) ビー玉、ゴム飛びに鬼ごっこ。夏の行燈作りや 冬のソリ作りなど。
学校のグランドで日没まで野球もやってたなぁ!!
子どもの遊びには色んな要素が盛り込まれていますからね~
元来 左利きの私が遊びを通して右手の使い方を覚えたんですね。
今から思い返すとそういうことになる。
右・左の利き手感覚が無くなって行ったのです。
メンコは左、ビー玉は右。釘や玄能、絵筆を持つ手はその場の都合で右左。
野球のボールは左右両手で投げていた。
今だから言えることですが、箸は右使いにしてましたがスプーンとフォークは左使いです。
因みに当時は二刀流と言わずに両刀使いと言っていたはず。二刀流ってカッコいいですね(^^♪
つづく
※ここまで書き脱線しそうな予感がするので一旦投稿します。
読んで頂き ありがとうございます。
by 中野由唱 よしどん