今から40年ほど前のこと
私が30才代の頃の話です。
機械刃物の仕事でいろんな製造工場に出入りしております。
家具、製材、建築、建材、リサイクル、etc、etc、etc~~~
主に木製品を製作加工する工場や工房がほとんどでした。
現場で働いている人員規模は一人二人から2000人3000人まで様々です。
今日はその中で強く印象に残る工場の話です
そこはアイディアで他社が作らない木製品を製造する工場です。
工場で働いている人員は5人~6人の規模です。
人の目にとまるような木製品を作っていました。
例えば、キタキツネやフクロウをモチーフにして
レターラック、お盆、靴ベラ、菜箸などの実用的なモノを作っていた。
飾るモノではなくて、とにかく生活に使う道具なんです。
その工場の社長曰く
「うちは小さい工場だからあらゆる面で大手には敵わない」
「だから、アイディアを出していくしかない」
その時、私は 「でも、この業界は特許でも取らないと直ぐにまねされますよ」 と言いました。
すると、工場の社長はこう続けて話します。
「特許には時間がかかり過ぎる。認可がおりるまでにまねされるよ」
「だから、短期間で大量に作って一気に はき出す」
「そして、また次の製品を考える」
「他の工場がまねして作り出すころには別の製品を出荷する」
「商売はその繰り返しだ!」
んー、なるほどーーーーー(汗)
それにしても、よくアイディアが次から次へとでるものだなぁ~!!
私は感心しきりでした。
でも、感心ばかりもしていれません。
必ず宿題を出されるからです(笑)
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ある日、突然に出る宿題。
例えばこんな風に。。。
四角の材料から丸い球状を切り出したい。
条件は二つある。
- 費用のこと(予算に枠あり)
- その工場の人員の器量で使える刃物を作ること
ここから機械刃物業界で培ってきた技量と専門知識を基に刃物の設計を始めます。
顧客の依頼通りの刃物が完成して、顧客も満足できる製品を製作する。
当たり前が嬉しい瞬間に繋がります。
~~~~~~~~
因みに、この社長は趣味が多彩なんです。
温泉と旅、カメラで自然撮影、パークゴルフなど
突然、一週間ほど工場を休むことも度々ありました。
「山陰地方を廻ってきた」
「九州の温泉を巡ってきたぞ」
等々、よくあとから聞かされました (笑)
今から思うと、アイディアの源は旅とカメラだったのだと思います。
いろんなアングルで、いろんなモノを見つめる目。
ひとつのモノを多重アングルで捉える感性。
これだったのかもしれない!!
これだ。
これなんだ!!
今、私は多重アングルで捉える感性をしみじみ大切だと感じている。
多重アングル感性は私の仕事にも活かされている。
この工場の社長との出会いに感謝しても感謝しきれない。
機械刃物を設計する際に、私は意匠登録出願を一切考えない。
何故かというと、、、
刃物の刃部角度を0.3度 変更するだけで登録と異なる刃物になるからです。
また、私は顧客から依頼される仕事は全て新規の仕事と捉えています。
常に今がベスト
いつも今が最高
そんな風に考えて仕事を楽しんでいます。
なんといっても 刃物は製造現場の裏方です。秘密厳守は当たり前です。
今日のまとめ
秘密厳守と意匠登録って
そもそもつながるんだろうか?
疑問ですね。
問題ないとしても私は意匠登録しません。
裏方が好きだから!
by 中野由唱 よしどん
こんにちわ
北海道 旭川の研師 中野由唱です。
私は楽器にまつわる刃物も研いでおります。
皆さんはオーボエという楽器をご存知ですか?
オーケストラの中の木管楽器のひとつです。
そのオーボエにはリードという部品が組み込まれています。
因みにリードは消耗品でもある。
良い音色を奏でるためには、このリードが重要な役割を荷っている。
竹製のリードは木管楽器には必ず使われていて、
オーボエの他にファゴットやクラリネット、サクソフォンなどがある。
基本的にリードは奏者自らナイフで削って奏者自身に合った状態で使用する。
100分の1ミリの精度でリードを削るリードナイフは切れ味が重要だ。
そのリードナイフの研ぎ依頼を初めて受けた時の事を思い出す。
初めて取り組む種類の刃物を研ぐ仕事はその刃物の使い手に
根掘り葉掘り質問を浴びせることになる。
~~~~
-
どんな材料をどんな風に削るのか?
-
力の入る部分はどこなのか?
-
どれだけの精度と仕上りを要求するのか?
~~~~
概ね上記のような質問をする。
その答えによってその刃物の研ぎ方が決まる。
もちろん、手研ぎです!!
じつは、私は過去にグランドピアノの部材を製作している工場の刃物メンテナンスを担当していたので
楽器の持つ繊細さは身に沁みついています。
私が研いだリードナイフで調整されたオーボエの音色を聴きに
オーケストラのコンサートに行ったことがあります。
素晴らしい音楽。
文字通り「音」を楽しませて貰いました。
いやー、感動しましたよ!!
ホームページで中野刃物を探して来店いただいたプロのオーボエ奏者の彼に感謝しています。
そして
その出逢いに感謝します。
ありがとうございます。
私の仕事、刃物を研ぐことが音楽に繋がることを教えてもらいました。
お客さんとの出逢いがあればこその刃物の仕事です。
いつか、私が担当した部材で作られたグランドピアノの音色を聴いてみたいと思います。
そこから次の新しい出逢いが始まるから。
今日のまとめ
過去の仕事が今の私を作り、
今の仕事が未来の私を作る。
そう信じて今を生きている私です。
感謝の日々を研ぐ。
by中野由唱 よしどん
2023年もよろしくお願いします。
北海道旭川の研師 中野由唱です。
その昔、「二刀流」と言えば二刀を用いる二天一流兵法の開祖 宮本武蔵を連想したものですが
今は、アメリカメジャーリーグベースボール(大リーグ) ロサンゼルス・エンゼルスに所属する大谷翔平選手の活躍で近頃は使われるようになった言葉、それが「二刀流」です。
小学生の頃に左右両方の手を使い分けることを覚えた私は中学・高校時代に好きだったスポーツ(球技)のほとんどを左右二刀流でプレーしていました。
(蕎麦打ち職人の左利き率は何割いるのだろうか)
左利き用の蕎麦切り包丁もそうですが
砥石を使った手研ぎでも、刃の形状によって右手で研ぎ難い刃物もあります。
円形状の丸刃や半月形のスライサー、片刃の刃についても右手で研ぎ難い刃物が多いです。
「研ぎ難いなぁ 」と感じる時、ふと思い出す事があるんです。
それは、私が小学校に入学前に左手を右手使いに変える練習を強制的に課し実行してくれた両親のことです。
その当時は右利きに修正することは当然の事でした。それでも、今 私は両親に感謝してます。
私を左利きに産んでくれたこと。利き手強制改造計画を実行してくれたこと。
この両親あればこその私なんです。
研師として二刀流である自分が誇らしい!!
両親が与えてくれた改造計画が箸と鉛筆についてのみだったことにも大感謝です。
by 中野由唱 よしどん
久しぶりにブログを書いている北海道旭川の研師 中野由唱です。
私は生まれた時は左利きだったようです。
それから、成長するにつれ左右両方が利き手になりました。
では、これから子供の頃の事を思い出して書いてみますね。
昭和30年(1955年)11月5日に私は生まれた。
何処で生まれたかというと 新潟県北蒲原郡紫雲寺町稲荷岡で生まれたそうです。
これが当時の住所。。。長いです。
そのあとに数字が続いていたと思う。例えば 235-1とか 162-3 とか。
この住所は子どもの私にはとても難しくて書けなかった。
しかし、3歳の私はしっかり記憶していたようで、
「お住まいは?」と大人に聞かれると。。。
『はいっ、新潟県北蒲原郡紫雲寺町稲荷岡・・中野製材所が本家です』とはっきり答えたそうです。
今となっては私もよく憶えていないのですが、要するに私は新潟県の田舎で生まれました。
私の両親は揃って大正生まれで育ちも田舎。だから 私の両親は私が小学校入学の直前に 『左手を右手使いにする改造計画』に着手したのです。「ひだりっこぎ は人前に出られない、カ〇ワ者だ」とは母方の祖母(明治23年生まれ) の口癖。
今は偏見でしかありませんね。。。
当時はそれが当たり前だったのでしょう。
左手を縛られたり、左手で箸を掴むと叩かれたりして結構厳しかった。当時6歳の私は、なんて酷い親なんだ!と恨んでいました。でも、その右手使い計画は箸と鉛筆のことだけで終わった。そして、この事がその後の私に大きな影響を与えてくれたのです。
小学生の時はほぼ毎日近所の子どもたちや同級生たちと夕食(ゆうげ) の匂いがするまで外で遊んでいました。パッチ(メンコのこと) ビー玉、ゴム飛びに鬼ごっこ。夏の行燈作りや 冬のソリ作りなど。
学校のグランドで日没まで野球もやってたなぁ!!
子どもの遊びには色んな要素が盛り込まれていますからね~
元来 左利きの私が遊びを通して右手の使い方を覚えたんですね。
今から思い返すとそういうことになる。
右・左の利き手感覚が無くなって行ったのです。
メンコは左、ビー玉は右。釘や玄能、絵筆を持つ手はその場の都合で右左。
野球のボールは左右両手で投げていた。
今だから言えることですが、箸は右使いにしてましたがスプーンとフォークは左使いです。
因みに当時は二刀流と言わずに両刀使いと言っていたはず。二刀流ってカッコいいですね(^^♪
つづく
※ここまで書き脱線しそうな予感がするので一旦投稿します。
読んで頂き ありがとうございます。
by 中野由唱 よしどん
常識を進化させるために
こんにちわ
北海道旭川市で昭和32年(1957)創業の刃物専門 中野特殊刃物工業(株) の 中野由唱です。
刃物を研ぎ続けて44年、今は料理包丁の販売と研ぎ直しにも力を入れています。
年間1,300本程の包丁を研いでいますが、その中で変形が酷く修復不能な包丁も多々出会います。
それは「見よう見まね」という自分の研ぎ易い我流で刃物を研いだ結果です。
「自分で研いで、研ぐ前より切れなくなっちゃったー」とか
「人に頼んで研いで貰ったら、機械を使って研がれてしまったー」とか
「包丁ってー誰が研いでも一緒でしょ」とか。。。
まぁ、よく聞く話です。
でも
研ぐ人と研ぐ方法で包丁は全く違うものに生まれ変わります。
包丁は日本刀とは違います。
出っぱった所は削れますが 凹んだ所を盛ることは出来ません。
修復するにも元の形がなくなってしまっては手の打ちようもありません。
そうなる前に相談して欲しいところです。
例えば、
あなたは床屋 や美容室を選ぶ時、腕が確か否かなど自分好みの技能者を選ぶでしょう。
理容師や美容師は個人技能ですからね。
まぁ、当然です。
包丁研ぎも じつは 個人技能なんです。
上手い下手 安心できるかできないか という選択基準があっても良いはず。
私は日本料理の基本は切れ味の良い包丁だと考えています。
和食の料理人の料理は
新鮮食材と調理の腕前と切れる包丁の三位一体だと信じています。
そのどれ一つ欠けても「四季と風土」「旬と彩り」を鮮やかに表現する あの美しい日本料理は生まれません。
日本刀から繋がる 研ぎながら使う包丁の日本文化を残したい。
料理をする全ての人に包丁本来の切れ味を知って貰い、料理をもっと楽しんでほしいんです。
玉ねぎで涙が出るのは切れない包丁のせい。
にんじんの千切りででまな板が真っ赤になるのは切れない包丁のせい。
皮を剥いたリンゴは塩水に漬けないで、そのまま美味しく頂きましょう。
何故ならば、切れるペティナイフなら皮剥きしたリンゴだって1時間は赤くなりません。
切れない包丁が当たり前になって、いつの間にか長い時間がたってしまいました。
長い時間が常識さえも変えていたのです。
みなさん、包丁の切れ味を私と一緒に もっともっと追求していきましょう。
by 中野由唱 よしどん
エピソード
「新しいパターンの刃物を作ってほしい」と、お客さんからの依頼あり。
パターンとは形状のこと。その形状を必死に説明してくれました。
でも、問題は○刃物の大きさ(直径) ◯刃物の刃数(ピッチ)◯刃物の角度(リード)大きく分けてこの3点。形状だけなら図面があれば確認できます。
更にお客さんは「これまで特に問題も無かったし、形状(パターン)だけを変えてくれればいいです」と。
話を簡単に終わらせようと思っていたようでした。
でも 使う機械の能力、使う木材の特徴、仕事の精度を考慮した上で(直径)(ピッチ)(リード)を設計(デザイン)することで、、、
使用する機械の負担を抑え作業の安全性を高め、切削面の仕上がりを美しくする。
結果 ペーパー掛けなど、一番手間のかかる仕上げの工程を省くことができるのです。
図面上のパターンを刃物に置き換えるだけなら、作業の安全性も仕上がりの美しさも得られなかったでしょう。
その後、そのお客さんからは刃物というより仕事(作業)の相談を受けるようになりました。
これまで使ってきた刃物のデザインが当たり前なのではありません。
問題が無いから変えない、というより問題が見えていなかったのです。
ときには外部の意見、とりわけ専門家の見解を求めることは重要なのです。
結論
当たり前が当たり前でなくなる時
見えていなかった問題に気がついた時
あなたの仕事はそこから進化し始めることでしょう。
by 中野由唱 よしどん
こんにちわ
北海道旭川市で創業64年の刃物専門、中野特殊刃物工業の代表で研師の中野由唱(よしあき)です。
私がこれまで44年間で関わった刃物は実に様々です。
いろんな場面で色々な刃物が色々な用途で使われています。
中野特殊刃物の場合
木工場、家具工場で使われる「丸のこ」や「帯のこ」がその代表ですが、SNSで仕事や日常のことを発信していると多くの人と話をする機会が増えます。
その結果〝家庭で使われている包丁が如何に切れない状態か〟が分かってからはここ10年ほど、包丁にも力を注いでいます。
ここで私が関わった『おもしろ刃物たち』の一部を紹介しましょう。
・氷彫刻のみ
・ワカサギ釣りのアイスドリル
・公式スケートリンクの氷面仕上げ用ブレード
・ゴルフ場のフェアウェイ専用芝刈機の刃物
・ピアノ響板工場の精密刃物
・ペットボトルリサイクル工場の粉砕刃物
・外科病院のメス(今はありません)
農業、林業、水産業、酪農業、土木に造船、
製紙業、自動車産業、建築業
にスーパーの惣菜部 などなど
とにかく刃物は多種多様で、日常の暮らしに深く関わっています。そしてそのひとつひとつが私たちの生活を豊かにしてくれているのです。
ところでみなさんは「刃物は硬いものに弱く、柔らかいものに強い」そう思っていませんか?
若い頃の私はそう思っていました。
ところが
入社して3年の研磨工の見習期間が終わり、訪問した製紙工場で初めて紙の切断作業を見た時 その思いは一転しました。
柔らかい紙を切っているはずの刃物の切れ味が、私の目の前でみるみる落ちて行く。
私はその現場の事実に「えっ何でー」と唖然とするばかり、今思えば 刃物を研ぐ作業をしている私だからその事実を受け入れる他なかったのかも知れません。
刃物にとって最も苦手なことは、、
機械的に動く刃物の回転速度にムラがあること。
切る相手が、木や布地と違ってタテヨコの繊維がはっきりしていないこと。
があります。
最近、既製家具や既製建具によく使われているMDFという圧縮木材があります。
簡単に言えば、
木の粉を圧縮して固めたもの。
これは繊維方向が無いため、加工に使う刃物の磨耗は一般木材と比べて3倍以上。
つまり、すぐ切れなくなる ということ。
しかし、材質そのものは柔らかいものが多いです。
また、洋裁の裁鋏(タチバサミ)は型紙などの紙類を絶対に切らぬこと、と言われています。
すいて作る和紙はいいのですが、西洋紙やコピー用紙は圧縮されているのでハサミが早く切れなくなります。
ナイフのような刃物が研ぎ上がった時、試し切りで新聞紙や雑誌を切っているのを見かけますが みなさんは決してマネしないでくださいね。
せっかく仕上がった刃物を、使う前に大きく磨耗させることになってしまいますから。
まとめ
自分が使う刃物を自分の手で研いで使う場合はあまり気にしなくていいと思うのですが、
プロが預かった大切な刃物はそうはいきません。
その刃物の弱点を知り、性質や特徴に合わせた取り扱い
をすることが大事です。
『みなさんがもし 研ぎ上がった刃物の試し切りをする場合は、十分注意してください』
刃物の性質や特徴を考えることは、刃物を好きになるキッカケになるはずですから。
by 中野由唱 よしどん
刃物は切れるから刃物
切れない刃物って そもそも・・・・
こんにちわ
北海道旭川で創業64年目の刃物専門 中野特殊刃物工業 代表で研師 中野由唱です。
2021年10月17日 日曜日
旭川に初雪が降りました。
本格的な冬の到来まで、あと僅かです。
今から44年前、大学の卒業と同時に家業の中野刃物に就職した私は他の業界を知りません。
「視野が狭い」
と、言われるかもしれません。
私はその分 刃物との付き合いが深くなりました。
正直、最初は刃物のことはあまり好きではありませんでした。
でも。。。。
刃物について、ひとつひとつ基本を学んで行くとどんどん疑問が湧いてきて刃物にのめり込んで行きました。
包丁、スライサー、チップソーなど工場や家庭で使われている刃物は色々あるけれど、今 思うことはひとつ。
- 刃物が切れる悦びを伝えたい
- 刃物が切れることによる幸せを感じてほしい
刃物は切れるから刃物
切れない刃物は刃物とは呼び難いです。
けれど、
多くの方が実は切れない刃物をそれと気付かずに使っています。
常に切れない刃物を使っていると、切れない事実にも気が付きません。
やはり、私は日本の刃物の優れている点を伝える仕事について良かったんだと思っています。
工場や家庭で使われる刃物が抵抗なくスッと働き、思いがけない悦びを感じてくれると嬉しいです。
そんなことを思った初雪の降る日曜日です。
by 中野由唱 よしどん
こんにちわ
北海道 旭川市 で創業64年目 刃物専門 中野特殊刃物工業株式会社 代表 研師 中野由唱です。
『人間にしか出来ない仕事をしないと、いずれはAI(人工知能)に取って代わられるぞ』そんな言葉を聞くと職人の将来に危機感を持ってしまうところです。
今年の北海道は暑さが厳しく、特に旭川は30度以上の真夏日が連続27日と 記録的な暑さでした。
これも地球温暖化によるものでしょうか。
子供の頃から一番好きな魚は秋刀魚、その秋刀魚も海水温度の上昇で今ではすっかり高級魚になりました。
山のあちらこちらに中継アンテナが立ち始めてからカラスが増えてスズメを見なくなりました。
これらはみな人間が便利さを追い求めて来た結果、生態系の破壊に繋がっているのか。
そうだとしたら このコロナ禍、少し時間を巻き戻して生活してみるのも あり でしょう。
我家では昔から料理の出汁は化学調味料ではなく、鍋に出汁昆布を入れて水に浸すだけ。
2時間もおけば充分に出汁が出ます。
夜寝る前にしておくと、電気も火も使わずに出汁を取ることが出来ます。
砥石で包丁を研ぐことも同じで、電気も火も使いません。
機械を使って研げば、短時間で簡単に研ぐことは出来ます。
でもそれは、刃先を荒らして一時的に食いつきを良くするだけなのでは?
その代わりに刃の強度が極端に落ち刃割れや刃欠けの原因を作ります。
40年間 刃物に関わって強く思うこと
機械研ぎよりも五感を使う手研ぎの方が切れ味の良い刃が付く。
そして、手研ぎは無限に進化できる。
実は、中野刃物は10年前までは研磨精度を上げるため、刃物を研磨機に固定する治具の製作に結構費用をかけていました。今はほとんど使わなくなりました。
現在の中野刃物は機械研ぎと手研ぎの優れた部分を融合させて刃物を研いでいます。
人にしか出来ない「研ぎ」の形を作って、伝統を継承しながら 更に 研ぎながら使う新しい日本の文化を世界に伝えたい。
地球の未来を考える時、便利さよりも豊かさを大切にしたいです。
あなたもそう思いませんか。
by 中野由唱 よしどん
こんにちわ
今年で創業64年目を迎える北海道旭川 中野特殊刃物工業(株) 代表 研師の中野由唱(よしあき)です。
昭和32年、私が2歳の時 父は旭川で刃物店を創業させた。
新潟県の新発田市から家族5人で旭川へ移住して間もなくのことだった。
旭川は家具の一大産地。
最初は家具工場の「丸のこ」や「帯のこ」を研ぐことから始め、次第に木材加工機械の刃物を研磨するようになった。
当時、私たちの住む家は台所と6畳間が二つでそのうち1つは目立場(めたてば)=工場として使っていた。
2階は別の家族が入っていて、借家というより間借りだった。
狭い6畳の部屋に家族5人で暮らしてました。
実は、その目立場は私が小学校に入るまでは秘密の遊び場でした。父からは『絶対に工場(目立場)に入るんじゃない』とキツく言われてました。
その頃 父は・・・・
毎朝6時には家を出て、自転車で家具工場に配達。
次の代わりの刃物を持ち帰り、午前中目立場で刃物を研ぐ。
昼食。
昼寝。
再び配達へ。
帰宅後、目立場で刃物を研ぐ。
仕事の合間に夕食を摂る。
その後、深夜まで目立場で再び刃物を研ぐ。
そんな具合でした。
日曜祝日も仕事をしていたので、父の顔を見ることは殆ど無かった。
「絶対に入るんじゃない」と言われると入りたくなるのが人情ですよねっ!
だから
学校が休みの日曜日と祝日は私に与えられたチャンスでした。
こっそり入る目立場にはキラッと光るものがたくさん、当時の私には宝物でした。
丸のこ、帯のこ、ルーター、カンナ、カッター、他に機械やヤスリや工具も。。
手にとって光に当てたり、
見てるだけでワクワクしてました。
でも
目立場を出る時には宝物を置いてあった場所に元通りにしておく必要があります。
刃物を見て、
研いだ刃か 研ぐ前の刃か。
刃の表か裏か。
一瞬に判断して、同じ場所に同じ向きで同じ位置に、父に絶対に分からないよう 正確に元通りにしておきました。
一度だけカンナ刃で指を少し切ったことがあります。
父に何故「入るな」と言われたかその時分かりました。
私には姉が二人いますが、男兄弟がいません。
私は小さい頃から家業を継ぎ、刃物屋になること以外考えたことはなかった。
そんな私ですから学校を出てからも刃物の世界しか知りません。
他の世界を全く知らないのです。
幸か不幸か、私の職歴は1つだけ。中野特殊刃物工業です。
だから刃物に集中出来るのでしょうか。
時々思うのですが、もしかしたら
刃物を元の形に復元したり、元の角度に戻したり、あの時の秘密の遊び場が今の私を育ててくれたのかも知れない、と。
父から教えられたこと
- 仕事は盗め
- 腕のいい職人の仕事を見て覚えろ
- あとは自分でやってみろ
教訓
人から教えられた仕事は覚えないが、面白くてワクワクドキドキしたことは忘れない。
人はワクワクドキドキしたことに取り組んだ時、熱中する。
by 中野由唱 よしどん