こんにちわ、中野特殊刃物工業(株)代表取締役の中野由唱です。
1955年生まれの私は、子どもの頃は左利きだった。小学校入学を前に大正生まれの両親から、『箸と鉛筆は右手で使いなさい』と言われて、、、右手使いを特訓した。
自分の名前をチラシの裏に書いて、書いて、書いて。
左手を身体に縛り付けて、右手だけでの食事。
まるでテレビアニメ「巨人の星」で飛雄馬が父一徹に左投げの猛特訓を受けるシーンみたいだった。(もっとも私の方がアニメより先ですけどー)
10日ほどで箸と鉛筆は右手でも使えるようになった。
私と年子の姉も左利きで同じ経験をしている。
私と同じか上の世代の人には珍しくない話なのでしょうが。
なぜ無理矢理 左から右にする必要があるのか、正直言って親には反発していた。
そして、ここから性格が湾曲してしまった、と自己診断しています、、、笑
でも、これがきっかけで「訓練で利き手は変えられるもの」とインプットされた私はその後、次第に人間に利き手があること自体疑問に思うようになっていったのです。
私が小学生の頃、スポーツと言えば
◾️野球
◾️ドッヂボール
◾️冬のスキー
ぐらいでした。
でも、中学校に入ると色んなスポーツに触れる機会が出来ます。
⚫︎卓球
⚫︎バトミントン
⚫︎バレーボール
⚫︎バスケットボール
⚫︎サッカー
と全て、両手両足でプレーしました。
当時(昭和42年)大流行だったボーリングも教えてくれた義兄が右利きだった、と言うだけで右で覚えて、、、でもいつしか左になっていたんですけどね!
こんなエピソードがあります。
中学の3年間私は野球部でした。
野球の場合、左利きだと守備のポジションが限定されます。
投手か
一塁手か
外野手かって
自分の可能性が摘み取られるようでいやだった。
それで野球だけは右でプレーしてました。
(結局3年間外野手でしたけど、、)
それが中2の夏休み前、部活終了後の雑談でコーチの先生が「うちのチームには左が居ないなぁ」と。
そこで私をよく知るチームメイトの沢谷君がひと言、「先生、中野は本当は左なんです」と。。
先生の目が一瞬光ったように見えました⁉︎
結局、それまで補欠だった私は『左と言うだけでライトのレギュラーをゲットしたのです。
翌日から右投げ右打ち→左投げ左打ちに転向。
中2の夏休みは
右手にはめるクラブの感触とボールのキャッチング
左打席でのクリップとスイング
と、この2つをテーマに猛特訓に明け暮れたことは言うまでもありません。
『人間は手も足も左右同じものを持っているのだから、左右同じように使えて当たり前』
今も私はそう思っています。
私の仕事は、機械の仕様や用途に合わせた刃物の設計・メンテナンス。
つまり、刃物を研ぐと言うこと。
機械刃物の種類は20ほど、材質ちがいやサイズちがいを加えると100種類。
再研磨や成型加工は刃物の種類に応じて専用研磨機を使うのですが、刃物には右回転と左回転のもの。右向きと左向きのものがあります。
機械によって左右対照の操作を必要とするものもあり、私には好都合!
でももし左右どちらかしか使えないとしたら、作業に合わせた治具をたくさん用意しなければなりません。
その時間と費用は大きい負担になります。
日本刀や包丁を研ぐ時も左右両手を使えることは、刃渡りの長い太刀や形の特殊なそば包丁・中華包丁を研ぐ場合かなり有利になります。
60歳を過ぎた今「私は選ばれた人間なんだ」と強く感じるのです。
私にしか出来ない仕事で、周りの人たちをしあわせにしよう!
研ぎの修業の終わりが見えて来ないのも、私の刃物人生がまだまだ続くと言うことなのでしょうね。
by 中野由唱 よしどん
こんにちわ
創業62年の刃物専門店 中野特殊刃物工業 研師 中野由唱です。
巷ではお歳暮商戦真っ只中ですが、お歳暮とは「正月のお供え物という役割でもあった為、12月13日から贈るようになった」と何かに書いてありました。
12月13日は昔から正月の準備を始める日、つまり「正月事始め」の日なのです。
すす払い
一年の汚れを落として歳神様をお迎えする為の儀式。
大店(おおだな)ではすす払いできれいにし終えたら店主を胴上げして祝宴を催した、とか。
一年の汚れをきれいに落とせば落とすほど、正月に歳神様が多くの福を与えてくださる。と考えられていました。
松迎え
歳神様をお迎えする為の門松や、おせち料理を作る時に使うかまど用の薪を取りに行く日。
今では門松やしめ飾りを家庭で作るのは珍しくなりました。
年男
その家で先頭を切って正月準備を行い、みんなを仕切る家長のこと。
迎える新年の干支に生まれた人のことではありません。
年男は現場仕事で、力も体力も必要なので歳を取った家長から次第に長男だったり、奉公人の若い男性が役割を担っていったそうです。
今ではお母さんが年男、という家庭も多いのではないでしょうか。
つまり12月13日という日は
- すす払いをして
- 松迎えの為に薪を取りに行き
- 年男が陣頭指揮をとる
正月準備の初日という大切な日なのです。
今から317年前の五代将軍徳川綱吉の世 元禄15年(西暦1702年)12月14日に現在の東京都墨田区本所にあった吉良邸では正月事始めを終えたばかりの招待客と100人程の家来も含めて大茶会が催された。
赤穂浪士の討ち入りの日は、ただ偶然に吉良邸で茶会があった日ではなく日本人の風習・習慣を大切にする心がそうさせた、必然のその日だったのです。
慶長8年(西暦1603年)2月12日、徳川幕府樹立から実に100年目のことです。
歴史は過去の出来事です。しかし時は太古の昔から延々と繋がっているもの。
時も人も「間」という空間ですべてが繋がっている、だから「時間」と「人間」なんだ。
日本刀を眺めていると、300年という時間は紛れもなく繋がっている。
と、そう感じた令和元年 師走の12日の深夜です。
by 中野由唱 よしどん
こんにちは中野特殊刃物工業の中野由唱です。
創業62年の中野特殊刃物工業は〝家具の街〟旭川にあって、長年 木工加工用刃物の設計と製作、メンテナンスに関わってきました。
ですが、あまり知られていない一面があるのです。それは食品加工用の刃物にも対応してきた、ということです。
20年前までは、秋になると稲刈りのコンバインやビートの粉砕刃のメンテナンスに追われていました。
そして業務用のスライサーや包丁も研ぎました。当時、包丁は製造メーカーと同じように機械を使って仕上げていたんです。
私が砥石を使った『手研ぎ』に魅かれ始めたのはこの頃からです。
手研ぎ仕上げの滑らかさは、「機械では絶対に出せない」と、そう直感したからです。
そして、家庭の包丁がどれだけ無理して、我慢して、切れないまま使われているかを知ったのです。
それから徐々に業務用包丁から家庭用包丁にシフトして、今は年間1,200本ほどの家庭用包丁を研いでいます。
直線的な研磨機の動きに対して、人の手の動きは自然に曲線を描き滑らかです。
機械の動きとは異なっています。
実はこの自然の曲線が包丁にとって重要なことなのです。
それは日本刀の反りにも似た要素が含まれているから、、、、、
いかに、刃を持つ手に抵抗なく切れるかということ。
「手研ぎをもっと極めたい」という気持ちから日本刀研師の修業に入って9年。今年は日本美術刀剣保存協会本部の研修会に参加することを許されてたので、7月末に東京で研修を受けてきました。
日本刀は研師が意識して刃を付けるのではない。「自然体で研げば、自然に刃は付くもの」そんなことを学んだ日本刀仕上研磨の研修会でした。
東京から戻ると私はすぐに研ぎたい気持ちが湧き出して、手元にあった刃渡り27センチの牛刀で試してみました。
それまで意識したことは無かったのですが、確かに刃の曲線は自然に出るもの。
意識して造り出すものではないことを実感できました。
大切なことを実感でき有意義な研修でした。
日常の仕事を休んで、お客さんに仕上がりを待って頂きながらも、参加して良かったです。
玉ねぎを切ると涙が出る。ニンジンをきざむとまな板が真赤になる。
そんな世間の常識も、全ては切れない包丁が大前提なのです。
それは野菜の繊維をつぶしているから。
切れ味の鋭い包丁では玉ねぎも目にしみないし、ニンジンでまな板は赤くなりません。
包丁の本当の切れ味を知らない人が多いことは、勿体ないことです!
日本特有の文化である鋼(はがね)の技術。
砥石と研ぎ手の五感を使った手研ぎの技。
私がこの切れ味と技を伝えたいのはこんな人達です。
- 世界の人々に伝えたい。
- 未来の人々に伝えたい。
- 隣家の奥さんに伝えてたい。
そんな思いを更に深めた2019年東京での研修でした。
by 中野由唱 よしどん
中野特殊刃物工業の中野です。
刃物の専門家として工業用刃物の設計や生産現場で、現状でどんな種類の刃物を使うと品質と作業効率が上がるか、などをアドバイスしています。
そして私は、チップソー(丸ノコ)やカンナのような機械刃物と包丁、日本刀を研ぐ研師でもあります。
42年で約2万本の包丁を研いで来ました。チップソー、カンナはその10倍、100倍?
数えたことはありませんが、包丁以上の数です。。
刃物を研ぐ仕事は、単純作業の繰り返し
になりがちで「マンネリ」という言葉がすっぽりはまってしまうほど。
それを打開する為、私はいつも「今より早く」「今より精度を高く」を心掛けています。
もちろん手抜きはなしで!
そしてもうひとつ大事にしていること。それは、砥石の使い方。
手研ぎの奥深さにに魅かれ、日本刀の研ぎの修業に入って9年。
最初は見るものすべてが未経験のことばかり。
中でも砥石の形が「かまぼこ型」?
これには驚きました。
砥石の研ぎ面が平らではなく、中心が高く四角(よすみ)が低くなってるんです。
それまで砥石は、使うと真ん中が低くなるので 平らにならして使ってました。
砥石は平らが理想型だと信じていたんです。
しかし、使ってみて直ぐにその意味が分かりました。
ハマグリ型の日本刀が、美しく研ぎ澄ますことの出来る訳が。
砥石の曲面に合わせるように刀身を縦に横に斜めに大きく揺らしながら研いでゆく、まるで三次元の世界だ。
常識は固定されるものではないことを教えられました。
7月に日本美術刀剣保存協会の仕上げ研ぎの研修に参加のため、梅雨明けして連日猛暑日の東京に行ってきました。
1年前から決めていたことを実行しました。
全国からプロの研師たちが19人、それぞれに経験を積んでいる方々ばかりで海外からの参加もありました。
天然砥石が基本の日本刀の研ぎ。
しかし、天然物はすでに枯渇して 今は京都周辺でわずかに採掘されるだけ。
いわゆる練り物に頼らざるを得ないのです。
ここでも 皆、砥石には苦労していました。誰かが話し出すと直ぐに砥石の選び方、使い方、その癖など各々情報交換の場にもなります。皆の真剣に「研ぎ」を学ぶ姿に圧倒されながら、私もまた真剣でした。
朝9時30分から夕方5時までの3日間の日程もアッという間でした。
砥石の使い方もそれぞれ少しずつ違います。
他人の研ぎをほとんど見たことがない私にとって、又とない勉強になりました。月末の忙しい時期でしたが、東京へ行ってよかったと思います。
世界中で日本にしかない「研ぎ」の文化、ハガネの魅力。
そして、切れの良い刃物を使うことが私たちの暮らしをもっと豊かにしてくれることをたくさんの人に知ってほしい。
私の夢に向かって、学びの心を持ち続け行動することの大切さを強く感じた『学びの旅』でした。
by 中野 由唱 よしどん
SNSで友だちになった 小柳ひろみさん(ひろみん)、ご主人と息子さんで町の電気屋さんこやなぎでんきを営んでいます。
3人とも私の包丁研ぎ教室の生徒さんです。
そんなこやなぎでんきさんが今年の2月、6月、に続いて8月25日に包丁研ぎ実演会を企画してくれました。
心を込めて研いだ包丁を、みなさんに喜んでもらえるのがとても嬉しいです。
包丁が切れるというだけで、料理がそれまでとは全く違う美味しさになるんです。そして苦手な人も料理が楽しくなる。
でも一番嬉しいのは、研ぎ上がった包丁を手にして笑顔で「この次はいつ中標津に来るの?」と言ってもらえること!
8月25日 日曜日 午前10時から受付は午後3時まで
包丁研ぎは一本1,000円〜2,000円が目安です。別料金ですが、そば包丁も研ぎます。
中標津町のこやなぎでんき店内にて 電気圧力鍋とヘルシオホットクックの実演もあります。
希望の方には、私がプロデュースしたオリジナル三徳包丁も販売します。
左利き用も用意しますので 初めての方も気軽に声を掛けてくださいね!
ベイシストのご主人による 前日24日のjazz nightも楽しみです🎶
それじゃみなさん8月25日中標津でお会いしましょう!
by 中野由唱 よしどん
忙しい毎日を過ごす現代人。
自分の周りの環境の景色や音、空気の匂いやそよぐ風、そういうもの感じている人 少ないんじゃないかな?私はたまに感じる程度です。
そして、それらはすべて五感で感じるもの。
研ぎ澄ます
という言葉があります。ほとんどの人は「耳をそばだてて、神経を研ぎ澄ます」などと心の動きを鋭敏にする意 と思っているでしょう。もちろん間違いではありません。
でも本来の意味は
刃物などを良く研いで、少しの曇りもないようにする。
つまり、刃物をしっかり研ぐことを研ぎ澄ますと言うのです。
そして、研ぎ澄ますことは五感を使うことなのです。
現代人は毎日の暮らしの中で、この五感をつかう機会がどんどんと無くなっています。人間だけが持つこの五感、大切にしたいですよね。
以前「包丁研ぎを教えてください」と妹背牛町の女性農業者グループさんから声をかけていただき、そのお一人が包丁研ぎ教室の感想を日本農業新聞北海道版に寄稿してくれました。
食と農 広がる輪 3年前のものですが、投稿者ご本人から了解を頂いたのでここにご紹介します。
「包丁を研ぐ時間」
一昨年、女性農業者グループ昴(うずら)で包丁研ぎ講習会を行った。全員が農家であり主婦であるメンバー、興味の度合いは言わずもがなである。
講師はその時包丁研ぎにはまっていた私の友人から、師とする研師を紹介してもらい旭川から招いた。
研ぎ方そのもの(持ち方・手順・研ぐ角度など)はもちろん、研ぐ前に砥石を30分以上水に浸けておくこと、包丁の保管の仕方(水気・湿気は厳禁)、木製のまな板が一番刃を傷めない、ということなど たくさんのことを教わった。
用意されたサンプルの包丁は当然だけれど、どれも切れ味抜群で 参加した8人のメンバーで代わる代わる試し切りすると、黄色い歓声が。切れ味の良い包丁だと野菜がより薄く細く切れるし、お肉がムニュとではなくサクッと切れる。
料理が楽しくなり、切る作業も安全になるのだ。
ユーモアもあり親しみやすいお人柄の研師は刀も研ぐとのことで、そのまなざしにメンバー一同すごみを感じた。それぞれ持参した包丁も蘇らせてもらって、感謝感激の講習会となった。
あとは自宅で練習あるのみで、さっそく自分なりに研いでみるも 刃の〝返し〟の感覚をつかむのにしばらく試行錯誤した。そのうちに普段使いの私の包丁は、研ぐ角度が間違っていた上に 持ち前の馬鹿力も手伝ってか、研ぎ過ぎてペティナイフのように小さくなってしまった。
そうして昨夏に、「昴(うずら)」メンバーで講師をしてくれた研師経営の刃物店に出掛ける機会があった。講習会に参加していなかったメンバーも、話を聞いて試し切りさせてもらうことができて、砥石や包丁を購入するメンバーも多数。
私も再度研ぎ方へのアドバイスをもらい鋼(はがね)の包丁を買った。大満足の切れ味の包丁は、毎日使う台所の相棒であり宝物になった。
日々は移り動いていて、雪解け時期からこの春は特に考えることも多く、気が付けば包丁研ぎから遠ざかりがちになっていた。
思い出したように久々に研いでみると、集中して刃と向き合う時間は不思議と心も落ち着かせてくれた。
「少し余裕が出て来たのかな」と、自分の内面とも向き合ってみる。切れ味もよくなり一石二鳥、これからも包丁を研ぐ時間を大切にしたい。
(橋向美月・妹背牛町の米農家)
五感を使った包丁研ぎは集中するとストレス解消にもつながります。
何でも簡単で手軽になっている世の中です。しかし簡単に研げるものは、簡単に切れなくなる。それが刃物です。
みなさんも研ぎ澄ますを是非実践してほしいものです。
by 中野 由唱 よしどん
2011年3月19日、エクスペリエンスマーケティング(エクスマ)を提唱する藤村正宏氏のセミナーで私はエクスマの存在を初めて知った。東日本大震災発生からわずか8日目のことだった。
旭川中小企業大学での藤村先生の話は私がそれまで35年間感じてきた仕事への思いを文字にして、言葉にして、画像にして、誰もが分かるように見事に伝えていた。
繰り返される「伝わってますか?」の藤村先生の問いかけに、何度うなずいたことか。
『人々にその仕事の存在が伝わらなければ、それは存在しないのと同じ』この言葉で目が覚めた。
その後、何度か藤村先生のセミナーに参加した。2016年、エクスマ塾生となった私はSNS(social networking service)で40年の刃物への思いを伝えて行くことを決心した。
7月4日はエクスマ塾 第1回がスタートした日、そしてアメリカの独立記念日。
アメリカ史上最も若くして選挙で選ばれた大統領、ジョンFケネディは当時43歳。そのケネディが民主党大統領候補指名の演説で掲げた7つのニューフロンティア政策はこれ
(人口・生存・教育・住宅都市郊外・科学宇宙空間・オートメーション・余暇)
そして彼は大統領就任後の1962年、テキサス州ヒューストンでの演説で7つの政策のひとつをこう語った。
「アメリカ人を1960年代のうちに月におくる」と、その場にいた大観衆から歓声が上がったという。
翌年の1963年 彼は暗殺されてしまうが宇宙への思いは、彼の死後もアメリカの大きな夢となってアポロ計画は彼の公約通り、アポロ11号によって1969年7月20日成功する。
人類の月への第一歩だ。
当時14歳の私はテレビの画面を食い入るようにしていたことを覚えている。そして月面についたアームストロング船長の足跡は今でも目に焼き付いている。
彼の40分間のヒューストンの演説がアメリカ国民の心をどれだけ捕らえたか。雄弁というよりも彼の思い、彼の熱意が人々の心に響いたのだと私は思う。
私にできることの一つに木材加工専用刃物の設計があります。
私も刃物のプロとして素早く、美しく、正確に、仕事のできる刃物を、より多くの人に提供できるよう 熱意を持って伝えて行こう。
(チップソーの刃先をご覧ください)
藤村先生から学んだことを、1つづつ行動します。
by 中野 由唱 よしどん
北海道標津郡中標津町にある「こやなぎでんき」さん。
社長の小柳光悦(こやなぎこうえつ)さんはカッコいいベイシスト!
奥さんの小柳ひろみさんは明るく純真な元看護師さん!
長男の小柳佑樹さんはいつもかぶり物で元気100倍の優しいお兄さん!
そんな3人が企画したこやなぎでんき感謝祭。
その企画にオファーをくれてありがとう。
実は3人とも包丁研ぎ方教室の私の生徒さんでした〜(笑)
感謝の気持ちで包丁研ぎの実演をやりきります。
もちろん 手研ぎの技も見せますよ。
6月30日、今からわくわくしてます。
中標津のみなさんに、家族が笑顔になる包丁ライフ楽しんでほしいな🎶
by 中野 由唱 よしどん
こんにちは
中野特殊刃物工業の代表で研師の中野由唱です。
中野刃物は今年で創業62年になります。私自身は入社して42年、平成元年に二代目社長となりました。
刃物の仕事をしていると、誰もが切れない刃物を無理して我慢して使っていることに驚きます。
刃物は切れるから刃物なんです。
そんなことを「周りの人たちにもっとうまく伝えたいっ」と思って、私は2016年
【安売りするな、価値を売れ】
というエクスマ実践塾に参加しました。
そして、その年の12月にスタートした比布町エクスマ化プロジェクト2ケ年計画。
2歳から旭川に住んでいて、父が時々遊びに連れて行ってくれた比布町。
ぴっぷスキー場や塩狩峠スキー場
いちご狩りやタケノコ狩り
ひまわり畑の迷路
最近では突硝山のカタクリの花。。。
そんな比布町を私も私の出来ることで応援して行くことにしました。
5月12日の母の日にピピカフェ比布駅にて、妻の妙敦とふたりで包丁研ぎ実演会を開催しました。実演会終了後、比布駅前の桜が満開なのをみつけて、記念にパチリ!
比布町では18回目の包丁研ぎ実演会でした。すると、なんと音信が途絶えていた高校時代の同級生と20年ぶりに再会できたんです。しかもその手には包丁が一本、嬉しかったぁ!
私が比布町で包丁研ぎ実演会をやっているのは知ってたけど、仕事と重なってなかなか来られなかったそうです。
実は「奥さんを数年前に亡くしてからは家に籠りがちらしいよ」と人づてに彼のことを聞き、ずっと気になっていました。
いつかこの包丁研ぎ実演会に彼に来て欲しい、私はそう強く願っていたんです。
彼の顔を見た瞬間、私は何故か言葉にならなくて「やったー」と心で叫んでいました。
彼は一時間程、私の包丁を研ぐ姿を見ていました。集中している私の横で妻の妙敦と定年後のこと、今の仕事のこと、比布町のこと、ボヘミアンラプソディーのこと、これまでのことを色々話してました。
彼の包丁が研ぎ上がり、別れ際に「会えて良かったよ、俺もっ」たったその言葉にすべてが込められていたように思います。
18回続けてきたからこそ、彼との再会が叶った。
比布町で包丁研ぎ実演会をやってよかったー。ほんとによかった!
どんなことも
続けることは、いつか価値になる
私はこれからも比布町を応援して行きます。
気負わずに私の出来ることで、のんびりと。。。
by 中野 由唱 よしどん
5月12日は母の日、比布町で包丁研ぎ実演会。
ピピカフェ比布駅での開催は7ヵ月ぶりです。
実演会に備えて
身体の疲れを癒し、心の豊かさを取り戻したくて「遊湯ぴっぷ」に行って来ました。
本当に身体に優しいお湯なんです。この1年で50回程行きました。
光明石温泉
成分は
塩化カルシウム、硫酸カルシウム、炭酸水素カルシウム、塩化カリウム、塩化ナトリウム、硫酸ナトリウム、塩化マグネシウム、硫酸マグネシウム、炭酸水素マグネシウム、硅酸
天然鉱石のなかで最もイオン化作用の強い薬石光明石から出来たもの。
効能は
神経痛、リウマチ、肩こり、冷え症、腰痛、痔、疲労回復
でも、とにかく身体に優しいお湯なんです。
冷え症で副鼻腔炎の妻の妙敦もお気に入りなんです。
命削ってブログ書けと、言われたことがありますが、このブログで命は削ってません。
私の場合は、命削って包丁研いでます。
実は 実演会が終わって、うちに戻るといつも精魂尽き果てています。
包丁研ぎで削られた命を、優しくいたわってくれる遊湯ぴっぷのお湯は 文字通り私の命の源泉。
比布町内での包丁研ぎ実演会は18回目になりますが、中野刃物の単独開催は比布町だけ。
これからもよろしくお付き合い願いたいところです。
閉店時間と同時に出てくると、月がきれいに瞬いていました。
5月11日午後10時 気温1度の比布町です。
明日はもう少しあったかくなるといいなぁ!
by 中野 由唱 よしどん