自分を知るために その1

  • 2022年05月01日

自分は人にどう見えてるのか、人からどう見られているのか? 

誰もが気になるところです。

こんにちわ

今年で創業65年の刃物専門店二代目 よしどん こと 中野由唱 (なかの よしあき) です。


突然ですが、、、、

あなたがショッピングで洋服を購入する場面を想像してみて下さい。

私が洋服を選ぶ時は サイズは試着して自分で確認します。

ですが デザインや色は、いつも妻か売場店員の方に見て貰います。

好きな色が似合う色とは限らない。

 むしろ 好きな色は自分に似合わない。

 これが今まで生きて来た私なりの結論。 

 だから 私の洋服選びは人任せが基本。

人が選んだものを着るなんて、若い頃なら考えられなかったことです。

 でも 自分の好みで選ぶと、どうしてもワンパターンになってしまう。

 そこで 妻や他人の目を借りると自分では到底選ばないような洋服が候補に上がる。

 結果  選択の幅をグッと広げることになる。 

そして、それまで見えていなかった世界が見えて来る。

 

本当は存在しているモノが自分の脳に伝わらない状態なんですね!!

 

長い期間その仕事に関わっていると、自分のことも仕事のことも

日々のコトが時間経過と共にどこか「当たり前」に映って見える。

つまり

人は自分のことが分かっているようで分かっていない。 

更には、分かっていないこと自体に気が付かない。

 

まっ、こんな状態に陥りがちです。

今日はここまでにしときます。

続きをお楽しみに(^.^)/~~~

つづく

by よしどん 中野由唱

そもそも切れない刃物って

  • 2021年10月18日

刃物は切れるから刃物

切れない刃物って そもそも・・・・

 

こんにちわ

北海道旭川で創業64年目の刃物専門 中野特殊刃物工業 代表で研師 中野由唱です。

2021年10月17日 日曜日

旭川に初雪が降りました。

本格的な冬の到来まで、あと僅かです。

 

今から44年前、大学の卒業と同時に家業の中野刃物に就職した私は他の業界を知りません。

「視野が狭い」

と、言われるかもしれません。

 

私はその分 刃物との付き合いが深くなりました。

正直、最初は刃物のことはあまり好きではありませんでした。

でも。。。。

刃物について、ひとつひとつ基本を学んで行くとどんどん疑問が湧いてきて刃物にのめり込んで行きました。

包丁、スライサー、チップソーなど工場や家庭で使われている刃物は色々あるけれど、今 思うことはひとつ。

  • 刃物が切れる悦びを伝えたい
  • 刃物が切れることによる幸せを感じてほしい

刃物は切れるから刃物

切れない刃物は刃物とは呼び難いです。

けれど、

多くの方が実は切れない刃物をそれと気付かずに使っています。

常に切れない刃物を使っていると、切れない事実にも気が付きません。

やはり、私は日本の刃物の優れている点を伝える仕事について良かったんだと思っています。

工場や家庭で使われる刃物が抵抗なくスッと働き、思いがけない悦びを感じてくれると嬉しいです。

そんなことを思った初雪の降る日曜日です。

by 中野由唱  よしどん

 

豊かさと便利さのはざま

  • 2021年08月29日

こんにちわ

北海道 旭川市 で創業64年目 刃物専門 中野特殊刃物工業株式会社 代表 研師 中野由唱です。

『人間にしか出来ない仕事をしないと、いずれはAI(人工知能)に取って代わられるぞ』そんな言葉を聞くと職人の将来に危機感を持ってしまうところです。

今年の北海道は暑さが厳しく、特に旭川は30度以上の真夏日が連続27日と 記録的な暑さでした。

これも地球温暖化によるものでしょうか。

子供の頃から一番好きな魚は秋刀魚、その秋刀魚も海水温度の上昇で今ではすっかり高級魚になりました。

山のあちらこちらに中継アンテナが立ち始めてからカラスが増えてスズメを見なくなりました。

これらはみな人間が便利さを追い求めて来た結果、生態系の破壊に繋がっているのか。

そうだとしたら このコロナ禍、少し時間を巻き戻して生活してみるのも あり でしょう。

我家では昔から料理の出汁は化学調味料ではなく、鍋に出汁昆布を入れて水に浸すだけ。

2時間もおけば充分に出汁が出ます。

夜寝る前にしておくと、電気も火も使わずに出汁を取ることが出来ます。

砥石で包丁を研ぐことも同じで、電気も火も使いません。

機械を使って研げば、短時間で簡単に研ぐことは出来ます。

でもそれは、刃先を荒らして一時的に食いつきを良くするだけなのでは?

その代わりに刃の強度が極端に落ち刃割れや刃欠けの原因を作ります。

 

40年間 刃物に関わって強く思うこと

機械研ぎよりも五感を使う手研ぎの方が切れ味の良い刃が付く。

そして、手研ぎは無限に進化できる。

実は、中野刃物は10年前までは研磨精度を上げるため、刃物を研磨機に固定する治具の製作に結構費用をかけていました。今はほとんど使わなくなりました。

現在の中野刃物は機械研ぎと手研ぎの優れた部分を融合させて刃物を研いでいます。

人にしか出来ない「研ぎ」の形を作って、伝統を継承しながら 更に 研ぎながら使う新しい日本の文化を世界に伝えたい。

地球の未来を考える時、便利さよりも豊かさを大切にしたいです。

あなたもそう思いませんか。

by 中野由唱 よしどん

 

秘密の遊び場

  • 2021年05月18日

こんにちわ

今年で創業64年目を迎える北海道旭川 中野特殊刃物工業(株) 代表  研師の中野由唱(よしあき)です。

 

昭和32年、私が2歳の時 父は旭川で刃物店を創業させた。

新潟県の新発田市から家族5人で旭川へ移住して間もなくのことだった。

旭川は家具の一大産地。

最初は家具工場の「丸のこ」や「帯のこ」を研ぐことから始め、次第に木材加工機械の刃物を研磨するようになった。

 

当時、私たちの住む家は台所と6畳間が二つでそのうち1つは目立場(めたてば)=工場として使っていた。

2階は別の家族が入っていて、借家というより間借りだった。

狭い6畳の部屋に家族5人で暮らしてました。

実は、その目立場は私が小学校に入るまでは秘密の遊び場でした。父からは『絶対に工場(目立場)に入るんじゃない』とキツく言われてました。

 

その頃 父は・・・・

毎朝6時には家を出て、自転車で家具工場に配達。

次の代わりの刃物を持ち帰り、午前中目立場で刃物を研ぐ。

昼食。

昼寝。

再び配達へ。

帰宅後、目立場で刃物を研ぐ。

仕事の合間に夕食を摂る。

その後、深夜まで目立場で再び刃物を研ぐ。

そんな具合でした。

日曜祝日も仕事をしていたので、父の顔を見ることは殆ど無かった。

「絶対に入るんじゃない」と言われると入りたくなるのが人情ですよねっ!

だから

学校が休みの日曜日と祝日は私に与えられたチャンスでした。

こっそり入る目立場にはキラッと光るものがたくさん、当時の私には宝物でした。

丸のこ、帯のこ、ルーター、カンナ、カッター、他に機械やヤスリや工具も。。

手にとって光に当てたり、

見てるだけでワクワクしてました。

でも

目立場を出る時には宝物を置いてあった場所に元通りにしておく必要があります。

刃物を見て、

研いだ刃か 研ぐ前の刃か。

刃の表か裏か。

一瞬に判断して、同じ場所に同じ向きで同じ位置に、父に絶対に分からないよう 正確に元通りにしておきました。

一度だけカンナ刃で指を少し切ったことがあります。

父に何故「入るな」と言われたかその時分かりました。

私には姉が二人いますが、男兄弟がいません。

私は小さい頃から家業を継ぎ、刃物屋になること以外考えたことはなかった。

そんな私ですから学校を出てからも刃物の世界しか知りません。

他の世界を全く知らないのです。

幸か不幸か、私の職歴は1つだけ。中野特殊刃物工業です。

だから刃物に集中出来るのでしょうか。

時々思うのですが、もしかしたら

刃物を元の形に復元したり、元の角度に戻したり、あの時の秘密の遊び場が今の私を育ててくれたのかも知れない、と。

父から教えられたこと

  • 仕事は盗め
  • 腕のいい職人の仕事を見て覚えろ
  • あとは自分でやってみろ

 

教訓

人から教えられた仕事は覚えないが、面白くてワクワクドキドキしたことは忘れない。

人はワクワクドキドキしたことに取り組んだ時、熱中する。

 

by 中野由唱 よしどん

刃物が持っている能力を引き出そう

  • 2021年03月21日

こんにちわ

中野特殊刃物工業株式会社

代表で研師の中野由唱(よしあき)です。

切れないままの刃物は刃物ではありません。

刃物は使えば磨耗して切れなくなります。

研ぎながら使うのが、刃物を上手に使うコツ。

 

  私が父親の創業した会社に入社してから43年になります。

最初の3年は研磨工として工場にこもって機械刃物と包丁を研いでました。

「仕事は見て覚えろ」

「人の仕事を盗め」

と、父親に言われて覚える、というよりも身体に叩き込むという状態で必死でした。

結果 入社3日目には、実際に機械をひとりで操作して刃物を研いでいました。

そして

4年目には営業で180軒の得意先を担当。

営業と言っても、得意先を定期的に訪問して研磨する刃物を預り持ち帰ること、が主な仕事でした。

昭和53年当時の旭川は家具メーカーが200社以上もあって、家具工場にはよく行きました。

そこで決まって耳にしたのは

「そこの機械に付いている刃、切れるかどうか見てってくれ」という家具職人さんの言葉。

機械刃物は安全カバーがあったり、機械の内側に取り付けてあったり、刃先を目視できない事がほとんど。

なので、素手で刃先の感触を確認して判断してました。

(指先の感触は、これで鍛えられたようだ)

切れるかどうかは使う人が一番よく分かるのにー と反発しながら。。

切れる刃物を常に使っていると

  • 製品の品質が向上
  • 原材料の節約
  • 作業の省力化
  • 作業者の負担軽減

その他、機械の消耗抑制効果あり。

 

刃物の見直しで、年間900万円の原料節約につながったケースもあります。

単独では何もできない刃物ですが、機械との相性・材料との相性を考慮することで

現状の生産性は見違えるほど向上するものです。

家庭の包丁もまた同じで

ほとんどの人が切れない包丁を我慢して使っているのが現状です。

切れる包丁を使うと

見た目も味も良くなり、食材の持つ栄養価を損なわずに調理時間も短くなる。

ニンジンを切っても、まな板は赤くなりません。

赤くなるのは切れない証拠。

長ネギを刻んでつながるのも切れない証拠。

研ぎながら使う刃物文化は、仕事や生活を今よりもっと豊かにしてくれます。

 

教 訓 

世界が認めている日本だけにある刃物の文化を日本人は何も知らない。

1500年続く刃物の文化を日本人の手で繋げて刃物の能力を引き出そう。

    by中野 由唱 よしどん
 

2021年 コロナ禍の中で精研に徹する

  • 2021年01月17日

こんにちわ!

中野特殊刃物工業 代表で研師の中野由唱です。

2021年もよろしくお願いします。

今年であれから早10年。

2011年は、私のそれ迄で一番長い一年だったと感じています。

一番長い一年 と言っても時間の経過が遅かった訳ではありません。

むしろ早く感じた。

あまりにも大きな出来事が重なって、人生のターニングポイントとなったということ。

【由唱の意】

私の本名は中野 力 (なかの つとむ) と 読みます。

2011年3月11日、東日本大震災発生。

東日本大震災直後の3月14日から 仕事名として中野由唱(なかのよしあき)を名乗っている。

それはその年の1月から日本刀研師の修業に入った私が、師匠の故 頼住 譲先生に「力 つとむ」を使わずに「由唱 よしあき」を使うようにと言われたからです。

『刀』にとって『力』は鞘から刀を抜いた状態で最も忌み嫌う文字だ。研師を志すのであれば使ってはいけない。

ショックだった。。。

 しかし、私はその名前の意味を自分なりに考えて素直に「由唱」を受け入れることにした。

日本刀の由来を唱える人になれ。という頼住先生の思いを感じました。

社会人になってから33年間、刃物屋として生きて来た私です。日本古来の刃物の文化を後世に伝えて行きたい。 日本刀一筋80年の尊敬する師匠から授かった名前は天命とも思えた。

【運命的な出逢い】

更にその5日後の3月19日 旭川中小企業大学でのエクスマ(エクスペリエンスマーケティングの略)創始者 藤村正宏先生の講演を初めて聴講。

  • 「モノ」ではなく「体験」を売る
  • 安売りするな!「価値」を売れ!

という藤村先生の教えは余りにも衝撃的でした。私はそれからモノの伝え方をはじめから学んでいる。

【2011年から10年】

  • 『天命』
  • 『伝え方』

この2つが私の人生に鮮やかな色を付けてくれた。

【新たなる出発】

今、人間を試すかのように現れた新型コロナウイルスの感染拡大は未だ歯止めが掛からない。 その昔、人類は刃物という道具を創り出すことで大きな口や鋭い牙を持たずして動物の肉を食べて数十万年もの間 生き延びて来た。 災害からの復興の早さにも目を見張るものがある。

人類の英知は不可能を可能にする証明だ。

時々亡き日本刀研師の師匠の道場に掲げてあった〝精研〟の2文字を思い出す。

一点の曇りも無い無心の研ぎ。精神集中の研ぎ。

今コロナ禍にあって、改めて思うこと。

それは〝日本の刃物研ぎの文化〟を 志ある人に伝えたいと思っている。

人工知能やロボットに真似の出来ない技能を後世に伝えたいですからね!

伝える方法はリアルでもオンラインでも同じだと思っている。

人類の英知は不可能を可能にするのだから。

2021年は更に行動を加速させます。

    by中野 由唱 よしどん

志村けんさんが残してくれたもの

  • 2020年05月13日

こんにちわ

中野特殊刃物工業の中野由唱です。

 

2020年3月29日

新型コロナウィルスの感染で 志村けん さんが亡くなった。

「東村山音頭」でも知られる、東京都東村山市出身 70歳だった。

普段 テレビはほとんど観ない私だが、志村けんさんがどれだけ多くの人から愛されていたかはその後のtwitterニュースを見て分かった。

「一時代を築いたコメディアンは社交的と言うよりシャイで、むしろ内省的」と書かれていた。

テレビの中でしか知らない私は コメディアンは皆 社交的とばかり思っていた。

志村けんさんは 自分の存在理由をトコトン考えるから、逆に利他的になれる。ともあった。

そこから私自身の存在理由を考えてみる

「由来を唱える」という 由唱(よしあき)の名から父の始めた刃物屋で育った私は刃物の日常の役割 と 刃物の先人たちの知恵を伝えることが天命と思っていた。

しかし先日、私がプロデュースした包丁を購入して使ってくれたお客さんからFB投稿で、その切れ味に「素晴らしい」と高い評価を貰った。

 素直に嬉しかった。

これからは「顧客のため」ではなく「顧客の喜び」を知るという姿勢が必要なんだ、と感じた。

 

今回の新型コロナウィルスが終息しても、今後 消費者の行動は慎重になるだろう。

命の危機に直面して「何とか自分だけは助かりたい」という利己的な思いが私の中をよぎった。

だからこそ、本当の優しさが人々から求められるのだろう。

 

自分が嫌なことはどんな場面でも他人にしてはならない。

私は そう思って仕事をしてきた。

「大量生産、大量消費」の20世紀モデルから「量より質」の21世紀モデルへ と言われながら、なかなかシフトが進んでいないのが現実。

ウィルス感染はゴメンだが、これまでの社会の断捨離を推し進め、真の価値ある社会へシフトさせたいものだ。

 

志村けんさんは生前こんなことを言ってたそうだ。

「人を笑わせるのではなく、笑われるのが好きなんだ」と。

 

顧客の喜びを優先する喜劇王の言葉は、まさに利他的で優しさのあるマーケティングを私に示してくれているようだ。

コロナと向き合っているうちに 「つらい人を何とか助けたい」という利他的な思いが私の中から引き出されて仕事にも生かしたいと思った。

志村けんさん、ありがとうございます(合掌)

by 中野由唱 よしどん

新型コロナで来客減 その時気付いたこと

  • 2020年04月12日

こんにちわ

中野特殊刃物工業 代表で 研師 の 中野由唱 です。

私が家業を継ぎ、刃物の世界に飛び込んでから42年になります。

 

社会人1年生から刃物を勉強出来たことは、

私にとって何よりの財産です。

それは生産現場のお客さんから相談を受けた際、視点が人間より刃物に徹することが出来るから。

つまり「刃物を使う人はどうなのか」を「刃物的にどうなのかなぁ」と置き換えられる、ということ。

そしてそこが強みになる。

 

家具メーカーや住宅メーカー、製材工場や製紙工場などに機械刃物を提供しメンテナンス(刃物の修理、研ぎ直し)をするのが主な仕事。

さらに

  • 農業収穫
  • 水産加工
  • 食品加工

刃物の仕事は需要範囲が広いのです。

そして最近ではこんな仕事も加わりました。

  • カバン製造
  • ゴルフクラブ製造
  • 生薬製造

 

 

これらの仕事に刃物が活かされているのです。

 

私は時々この生産現場に提案して、刃物仕様の変更をお願いすることがあります。

 

材料のひき肌がきれいになり、歩留りが向上し生産工程を短縮することで働く人の向上心をアシストすることにもなります。

 

仕事が楽しくなると、仕事への意識が劇的に変化する。

目には見えないことですが、楽しくなる仕事をしてもらう。

これは大切なことです。

 

新型コロナウイルスの出現で来店客が激減して、振り返る時間が出来た私です。

 

今、何が大切かをしっかり見極めようと思います。

 

by 中野由唱 よしどん

 

伝える力の偉大さ

  • 2019年07月09日

2011年3月19日、エクスペリエンスマーケティング(エクスマ)を提唱する藤村正宏氏のセミナーで私はエクスマの存在を初めて知った。東日本大震災発生からわずか8日目のことだった。

旭川中小企業大学での藤村先生の話は私がそれまで35年間感じてきた仕事への思いを文字にして、言葉にして、画像にして、誰もが分かるように見事に伝えていた。

繰り返される「伝わってますか?」の藤村先生の問いかけに、何度うなずいたことか。

『人々にその仕事の存在が伝わらなければ、それは存在しないのと同じ』この言葉で目が覚めた。

その後、何度か藤村先生のセミナーに参加した。2016年、エクスマ塾生となった私はSNS(social networking service)で40年の刃物への思いを伝えて行くことを決心した。

7月4日はエクスマ塾 第1回がスタートした日、そしてアメリカの独立記念日。

アメリカ史上最も若くして選挙で選ばれた大統領、ジョンFケネディは当時43歳。そのケネディが民主党大統領候補指名の演説で掲げた7つのニューフロンティア政策はこれ

(人口・生存・教育・住宅都市郊外・科学宇宙空間・オートメーション・余暇)

そして彼は大統領就任後の1962年、テキサス州ヒューストンでの演説で7つの政策のひとつをこう語った。

「アメリカ人を1960年代のうちに月におくる」と、その場にいた大観衆から歓声が上がったという。

翌年の1963年 彼は暗殺されてしまうが宇宙への思いは、彼の死後もアメリカの大きな夢となってアポロ計画は彼の公約通り、アポロ11号によって1969年7月20日成功する。

人類の月への第一歩だ。

当時14歳の私はテレビの画面を食い入るようにしていたことを覚えている。そして月面についたアームストロング船長の足跡は今でも目に焼き付いている。

彼の40分間のヒューストンの演説がアメリカ国民の心をどれだけ捕らえたか。雄弁というよりも彼の思い、彼の熱意が人々の心に響いたのだと私は思う。

 

私にできることの一つに木材加工専用刃物の設計があります。

私も刃物のプロとして素早く、美しく、正確に、仕事のできる刃物を、より多くの人に提供できるよう 熱意を持って伝えて行こう。

 

(チップソーの刃先をご覧ください)

 

藤村先生から学んだことを、1つづつ行動します。

by 中野 由唱 よしどん

新元号と63歳

  • 2019年03月18日

昭和53年4月1日、私は大学卒業と同時に中野特殊刃物に入社した。

最初は研磨工見習いから、数年の工場作業の後 営業見習いとして いきなり100軒ほどのお客様を任された。

正直、何をどうしたらいいのか全く分からなかった。
主な仕事は使って切れなくなった刃物の回収と再研磨した刃物の配達、そして新しい刃物の売込み。研磨工の時もそうだったが、刃物の基礎知識も扱う種類もどうやって売り込むかも、自分で覚えるしかなかった。

中野特殊刃物にとって社員教育は皆無なのだ!

入社から11年目の1月初め、昭和天皇が崩御され年号が昭和から平成に変わった。

自粛ムードの中での会社新年会。社長挨拶の席で「俺の時代は昭和と共に終わった、後は息子に預ける」と何の相談も、何の打合せも無いまま15名の社員の前で先代社長である私の父がいきなり言い出した。

昭和元年生まれで昭和と共に生きて来た父だからそうしたかったのかも知れない。当時63歳の社長引退は早すぎると思ったものだ。

当時の父と同じ63歳という歳は私にとって、平成の30年を改めて振り返るきっかけになった。

そんなことを思う日曜の夜です。

さあ、これから工場にこもって明日の段取りしよう!

by 中野 由唱 よしどん