こんにちわ
北海道 旭川の研師 中野由唱です。
私は楽器にまつわる刃物も研いでおります。
皆さんはオーボエという楽器をご存知ですか?
オーケストラの中の木管楽器のひとつです。
そのオーボエにはリードという部品が組み込まれています。
因みにリードは消耗品でもある。
良い音色を奏でるためには、このリードが重要な役割を荷っている。
竹製のリードは木管楽器には必ず使われていて、
オーボエの他にファゴットやクラリネット、サクソフォンなどがある。
基本的にリードは奏者自らナイフで削って奏者自身に合った状態で使用する。
100分の1ミリの精度でリードを削るリードナイフは切れ味が重要だ。
そのリードナイフの研ぎ依頼を初めて受けた時の事を思い出す。
初めて取り組む種類の刃物を研ぐ仕事はその刃物の使い手に
根掘り葉掘り質問を浴びせることになる。
~~~~
-
どんな材料をどんな風に削るのか?
-
力の入る部分はどこなのか?
-
どれだけの精度と仕上りを要求するのか?
~~~~
概ね上記のような質問をする。
その答えによってその刃物の研ぎ方が決まる。
もちろん、手研ぎです!!
じつは、私は過去にグランドピアノの部材を製作している工場の刃物メンテナンスを担当していたので
楽器の持つ繊細さは身に沁みついています。
私が研いだリードナイフで調整されたオーボエの音色を聴きに
オーケストラのコンサートに行ったことがあります。
素晴らしい音楽。
文字通り「音」を楽しませて貰いました。
いやー、感動しましたよ!!
ホームページで中野刃物を探して来店いただいたプロのオーボエ奏者の彼に感謝しています。
そして
その出逢いに感謝します。
ありがとうございます。
私の仕事、刃物を研ぐことが音楽に繋がることを教えてもらいました。
お客さんとの出逢いがあればこその刃物の仕事です。
いつか、私が担当した部材で作られたグランドピアノの音色を聴いてみたいと思います。
そこから次の新しい出逢いが始まるから。
今日のまとめ
過去の仕事が今の私を作り、
今の仕事が未来の私を作る。
そう信じて今を生きている私です。
感謝の日々を研ぐ。
by中野由唱 よしどん
刃物は切れるから刃物
切れない刃物って そもそも・・・・
こんにちわ
北海道旭川で創業64年目の刃物専門 中野特殊刃物工業 代表で研師 中野由唱です。
2021年10月17日 日曜日
旭川に初雪が降りました。
本格的な冬の到来まで、あと僅かです。
今から44年前、大学の卒業と同時に家業の中野刃物に就職した私は他の業界を知りません。
「視野が狭い」
と、言われるかもしれません。
私はその分 刃物との付き合いが深くなりました。
正直、最初は刃物のことはあまり好きではありませんでした。
でも。。。。
刃物について、ひとつひとつ基本を学んで行くとどんどん疑問が湧いてきて刃物にのめり込んで行きました。
包丁、スライサー、チップソーなど工場や家庭で使われている刃物は色々あるけれど、今 思うことはひとつ。
- 刃物が切れる悦びを伝えたい
- 刃物が切れることによる幸せを感じてほしい
刃物は切れるから刃物
切れない刃物は刃物とは呼び難いです。
けれど、
多くの方が実は切れない刃物をそれと気付かずに使っています。
常に切れない刃物を使っていると、切れない事実にも気が付きません。
やはり、私は日本の刃物の優れている点を伝える仕事について良かったんだと思っています。
工場や家庭で使われる刃物が抵抗なくスッと働き、思いがけない悦びを感じてくれると嬉しいです。
そんなことを思った初雪の降る日曜日です。
by 中野由唱 よしどん
最近、研ぎ直しに預かる包丁のなかに刃先の傷んでるものが増えています。
こんにちわ
中野特殊刃物工業(株)代表で 研師 の 中野由唱です。
ホームセンターなどの包丁コーナーには包丁と一緒に簡易研ぎ器が並んでいるのを見かけます。
カラフルで形も可愛い商品が多く、特にコンパクトで初めてでも簡単に使えそうなものが人気のようです。
せっかく作った料理も包丁が切れないと、食材がつぶれてしまい、食材の持つ旨味成分も口に入る前に まな板に吸われてしまいます。
毎日使う包丁はあなたの大切なパートナー!
いつも 切れ味のいい状態にしておきたいものです。
そこで、、、、
みなさん手軽に使える簡易研ぎ器を購入するわけです。
でも、ちょっと待ってください。
その簡易研ぎ器のカタログや取り扱い説明書をよーく読んでみると、こんなことが書いてあるんです。
『 シャープナー(簡易研ぎ器のこと)は刃先を荒らすことにより
一時的に食材への くいつき を良くするもので、砥石による研ぎ直しの代わりではありません。
シャープナーでの 研ぎ だけに頼っていると刃先の強度が極端に落ち、
刃割れや刃欠けの原因になります。
月に1〜2回砥石を使って研ぐことをおすすめします 』
いかがですか?!
簡易研ぎ器は調理中など その場でどうしても切れ味を取り戻したい時にのみ使って下さい。
普段は砥石で研いで下さい。
ということになりませんか?
私がこれまでにお客さんに聞いた限りでは、大多数の方が簡易研ぎ器を砥石の代わりだと思っていて 「繰り返し何度でも使えるものだ」 と、勘違いしています。
説明書にもあったように、簡易研ぎ器を繰り返し使っていると包丁の寿命を極端に短くします。
例えば、20年→1年、10年→3ヵ月、5年→1ヵ月
こんな具合です。
決して大げさな話ではないのです。
そして、更に使い方を間違うと1回の使用で包丁を壊してしまうこともあります。そんな方が今までに10数人はいたかな。。。
「やっとの思いで買ったばかりの包丁なのにーーー」と泣いたお客さんもいらっしゃいました。
私は簡易研ぎ器をお客さんには勧めません。
でも、もし、どうしても、使いたい時は、包丁をすべらすように軽く引く。
しっかり刃を付けたいからと言って、力を入れるのは御法度。
手元から始まり 先端で終わるように 1回または2回 通すだけ。
それ以上は包丁を壊してしまいます。
とにかく、取り扱い説明書をよく読んで、書かれている通りに使ってください。
(私は勧めませんが。。)
プロの料理人は包丁をとにかく大切にします、それは昔も今も変わりません。
プロの料理人は自分が作る料理の出来栄えは、包丁の切れ味が大きく影響することを、料理人自身が知っているからです。
新鮮な食材と上質の出汁、それを腕のいい料理人が調理すれば美味しい料理が出来上がるでしょう。
さらに、もっと作りの良い切れ味バツグンの包丁が加われば
素材の味を活かした
栄養価の高い
舌ざわりの滑らかな
極上の味に変貌するのです。
美味しい料理はみんなを笑顔にします。
- 玉ねぎ切っても涙は出ない
- キャベツの千切りが甘くなる
これらは当然の結果なんだと思います。
包丁研ぎは水と砥石を使う、昔ながらの方法で研ぐ 「手研ぎ」 を お勧めします。
滑らかな切れ味が持続して料理の味がグーンとアップします。
その積み重ねが
家庭料理を楽しいものにしてくれます!
教訓
簡単に研いだ包丁は、簡単に切れなくなる
料理と包丁研ぎは手間を惜しむな!
by 中野由唱 よしどん
こんにちわ、中野特殊刃物工業 代表で 研師 の 中野由唱 です。
「起承転結」、文章や脚本構成の組立ての基本ですが時間の流れが速い現代、スピーディな展開が求められる今。
そこで次に来るのは「序破急」
だから「序破急」は新しいものかと思っていました。
でもー
そうではなかった。
序破急とは
日本の雅楽の舞楽から出た概念であり、
能楽
連歌
蹴鞠
香道
剣術
抜刀術
居合道
茶道 など
芸道論で使われる言葉。
脚本構成としては、
能に限らず浄瑠璃や歌舞伎において
中世、近世 以降の日本で
伝統的に用いられてきた構成とのこと。
中世は鎌倉時代 室町時代
近世は江戸時代
つまり
「序破急」は
武道、芸道という伝統文化から生まれた日本式の構成術なのだ。
すべての道は序破急に通ず!
能や歌舞伎、茶道、花道、
落語もいいかなぁ。
日本古来の伝統文化がもっと身近に感じた発見でした。
by中野由唱 よしどん
こんにちわ
中野特殊刃物工業 代表で 研師 の 中野由唱 です。
私が家業を継ぎ、刃物の世界に飛び込んでから42年になります。
社会人1年生から刃物を勉強出来たことは、
私にとって何よりの財産です。
それは生産現場のお客さんから相談を受けた際、視点が人間より刃物に徹することが出来るから。
つまり「刃物を使う人はどうなのか」を「刃物的にどうなのかなぁ」と置き換えられる、ということ。
そしてそこが強みになる。
家具メーカーや住宅メーカー、製材工場や製紙工場などに機械刃物を提供しメンテナンス(刃物の修理、研ぎ直し)をするのが主な仕事。
さらに
刃物の仕事は需要範囲が広いのです。
そして最近ではこんな仕事も加わりました。
これらの仕事に刃物が活かされているのです。
私は時々この生産現場に提案して、刃物仕様の変更をお願いすることがあります。
材料のひき肌がきれいになり、歩留りが向上し生産工程を短縮することで働く人の向上心をアシストすることにもなります。
仕事が楽しくなると、仕事への意識が劇的に変化する。
目には見えないことですが、楽しくなる仕事をしてもらう。
これは大切なことです。
新型コロナウイルスの出現で来店客が激減して、振り返る時間が出来た私です。
今、何が大切かをしっかり見極めようと思います。
by 中野由唱 よしどん
こんにちわ
中野特殊刃物工業 の 代表で 研師 中野由唱 です。
2020年4月に札幌で北海道新聞社主催 文化教室【日本刀の講座】の序章を担当することになりました。
そこで、代表的な日本刀にまつわる歴史話をします。
忠臣蔵は誰もが知る元禄の世の出来事。
でも、1702年の吉良邸討ち入りの時代にそば屋は存在しなかった。
では、そば屋はいつからあったのか?
素朴な疑問が湧いてきて、蕎麦について調べてみた。
日本人の主食と言えば米、稲作の始まりは今から3000年ほど前の縄文時代。
では蕎麦は?と言うと、なんと約9000年前から!
高知県の遺跡から9300年前のそばの花粉が発見されているのです。
【そばの殻はめちゃ硬い】
殻があまりに硬いことから、蕎麦は主食と言うよりも凶作のための備蓄食品として栽培されさいました。
鎌倉時代(1185年〜)になって中国から石臼が伝わり、そば粉の大量生産が容易になったのです。
でも当時は「そばがき」や「そば焼き餅」といった団子や餅の形状で食べられていました。
現在のように麺状の蕎麦が登場したのは室町時代(1378年〜)との説もありますが、はっきりと資料に残っているのは江戸時代(1603年〜)のもので日本最初の料理本、「料理物語」です。
西暦1643年(寛永20年)に出されたこの本には蕎麦切り(麺状のそば)の作り方が書かれています。
そしてその当時、麺状のそばはお湯で茹でるのではなく蒸籠で蒸していました。
現在も「もりそば」を「せいろそば」と呼ぶのはその名残りなんです。
ただ当時はまだ蕎麦よりうどんが主流で、そば屋が一般的になるのは、いわゆる二八そばが出てくる元禄15年より少しあとのことです。
十割そばは、そば粉を糊化させたものを「つなぎ」としてそば粉だけで作った蕎麦のこと。
切れ易く蒸籠に乗せて蒸し、そのまま客に出す形の蕎麦が主流だった。
江戸時代の後期(1730年〜)になってそば粉と小麦粉を混ぜた蕎麦が広く出回り、現在のように茹でる蕎麦が主流とって屋台のような一杯ずつ出す形の蕎麦が完成したのです。
二八そばの名称の由来は粉の割合から、
当時一杯が16文だったことから(2×8=16)のニ説ある。
「蕎麦切り」を今は単に「そば」と呼んでいます。
昔も今も変わらないのは、十割そばでも二八そばでも 蕎麦切り包丁 の切れ味が良いと、切った麺が角張って〝のどごしスッキリ〟で旨さが増します。
当時の蕎麦切り包丁はどんなで、どんな研ぎをしていたんだろうか。
思いは無限に広がります。。。
by 中野由唱 よしどん
こんにちわ
創業62年の刃物専門店 中野特殊刃物工業 研師 中野由唱です。
巷ではお歳暮商戦真っ只中ですが、お歳暮とは「正月のお供え物という役割でもあった為、12月13日から贈るようになった」と何かに書いてありました。
12月13日は昔から正月の準備を始める日、つまり「正月事始め」の日なのです。
すす払い
一年の汚れを落として歳神様をお迎えする為の儀式。
大店(おおだな)ではすす払いできれいにし終えたら店主を胴上げして祝宴を催した、とか。
一年の汚れをきれいに落とせば落とすほど、正月に歳神様が多くの福を与えてくださる。と考えられていました。
松迎え
歳神様をお迎えする為の門松や、おせち料理を作る時に使うかまど用の薪を取りに行く日。
今では門松やしめ飾りを家庭で作るのは珍しくなりました。
年男
その家で先頭を切って正月準備を行い、みんなを仕切る家長のこと。
迎える新年の干支に生まれた人のことではありません。
年男は現場仕事で、力も体力も必要なので歳を取った家長から次第に長男だったり、奉公人の若い男性が役割を担っていったそうです。
今ではお母さんが年男、という家庭も多いのではないでしょうか。
つまり12月13日という日は
- すす払いをして
- 松迎えの為に薪を取りに行き
- 年男が陣頭指揮をとる
正月準備の初日という大切な日なのです。
今から317年前の五代将軍徳川綱吉の世 元禄15年(西暦1702年)12月14日に現在の東京都墨田区本所にあった吉良邸では正月事始めを終えたばかりの招待客と100人程の家来も含めて大茶会が催された。
赤穂浪士の討ち入りの日は、ただ偶然に吉良邸で茶会があった日ではなく日本人の風習・習慣を大切にする心がそうさせた、必然のその日だったのです。
慶長8年(西暦1603年)2月12日、徳川幕府樹立から実に100年目のことです。
歴史は過去の出来事です。しかし時は太古の昔から延々と繋がっているもの。
時も人も「間」という空間ですべてが繋がっている、だから「時間」と「人間」なんだ。
日本刀を眺めていると、300年という時間は紛れもなく繋がっている。
と、そう感じた令和元年 師走の12日の深夜です。
by 中野由唱 よしどん
こんにちは中野特殊刃物工業の中野由唱です。
創業62年の中野特殊刃物工業は〝家具の街〟旭川にあって、長年 木工加工用刃物の設計と製作、メンテナンスに関わってきました。
ですが、あまり知られていない一面があるのです。それは食品加工用の刃物にも対応してきた、ということです。
20年前までは、秋になると稲刈りのコンバインやビートの粉砕刃のメンテナンスに追われていました。
そして業務用のスライサーや包丁も研ぎました。当時、包丁は製造メーカーと同じように機械を使って仕上げていたんです。
私が砥石を使った『手研ぎ』に魅かれ始めたのはこの頃からです。
手研ぎ仕上げの滑らかさは、「機械では絶対に出せない」と、そう直感したからです。
そして、家庭の包丁がどれだけ無理して、我慢して、切れないまま使われているかを知ったのです。
それから徐々に業務用包丁から家庭用包丁にシフトして、今は年間1,200本ほどの家庭用包丁を研いでいます。
直線的な研磨機の動きに対して、人の手の動きは自然に曲線を描き滑らかです。
機械の動きとは異なっています。
実はこの自然の曲線が包丁にとって重要なことなのです。
それは日本刀の反りにも似た要素が含まれているから、、、、、
いかに、刃を持つ手に抵抗なく切れるかということ。
「手研ぎをもっと極めたい」という気持ちから日本刀研師の修業に入って9年。今年は日本美術刀剣保存協会本部の研修会に参加することを許されてたので、7月末に東京で研修を受けてきました。
日本刀は研師が意識して刃を付けるのではない。「自然体で研げば、自然に刃は付くもの」そんなことを学んだ日本刀仕上研磨の研修会でした。
東京から戻ると私はすぐに研ぎたい気持ちが湧き出して、手元にあった刃渡り27センチの牛刀で試してみました。
それまで意識したことは無かったのですが、確かに刃の曲線は自然に出るもの。
意識して造り出すものではないことを実感できました。
大切なことを実感でき有意義な研修でした。
日常の仕事を休んで、お客さんに仕上がりを待って頂きながらも、参加して良かったです。
玉ねぎを切ると涙が出る。ニンジンをきざむとまな板が真赤になる。
そんな世間の常識も、全ては切れない包丁が大前提なのです。
それは野菜の繊維をつぶしているから。
切れ味の鋭い包丁では玉ねぎも目にしみないし、ニンジンでまな板は赤くなりません。
包丁の本当の切れ味を知らない人が多いことは、勿体ないことです!
日本特有の文化である鋼(はがね)の技術。
砥石と研ぎ手の五感を使った手研ぎの技。
私がこの切れ味と技を伝えたいのはこんな人達です。
- 世界の人々に伝えたい。
- 未来の人々に伝えたい。
- 隣家の奥さんに伝えてたい。
そんな思いを更に深めた2019年東京での研修でした。
by 中野由唱 よしどん
SNSで友だちになった 小柳ひろみさん(ひろみん)、ご主人と息子さんで町の電気屋さんこやなぎでんきを営んでいます。
3人とも私の包丁研ぎ教室の生徒さんです。
そんなこやなぎでんきさんが今年の2月、6月、に続いて8月25日に包丁研ぎ実演会を企画してくれました。
心を込めて研いだ包丁を、みなさんに喜んでもらえるのがとても嬉しいです。
包丁が切れるというだけで、料理がそれまでとは全く違う美味しさになるんです。そして苦手な人も料理が楽しくなる。
でも一番嬉しいのは、研ぎ上がった包丁を手にして笑顔で「この次はいつ中標津に来るの?」と言ってもらえること!
8月25日 日曜日 午前10時から受付は午後3時まで
包丁研ぎは一本1,000円〜2,000円が目安です。別料金ですが、そば包丁も研ぎます。
中標津町のこやなぎでんき店内にて 電気圧力鍋とヘルシオホットクックの実演もあります。
希望の方には、私がプロデュースしたオリジナル三徳包丁も販売します。
左利き用も用意しますので 初めての方も気軽に声を掛けてくださいね!
ベイシストのご主人による 前日24日のjazz nightも楽しみです🎶
それじゃみなさん8月25日中標津でお会いしましょう!
by 中野由唱 よしどん
こんにちは
中野特殊刃物工業の代表で研師の中野由唱です。
中野刃物は今年で創業62年になります。私自身は入社して42年、平成元年に二代目社長となりました。
刃物の仕事をしていると、誰もが切れない刃物を無理して我慢して使っていることに驚きます。
刃物は切れるから刃物なんです。
そんなことを「周りの人たちにもっとうまく伝えたいっ」と思って、私は2016年
【安売りするな、価値を売れ】
というエクスマ実践塾に参加しました。
そして、その年の12月にスタートした比布町エクスマ化プロジェクト2ケ年計画。
2歳から旭川に住んでいて、父が時々遊びに連れて行ってくれた比布町。
ぴっぷスキー場や塩狩峠スキー場
いちご狩りやタケノコ狩り
ひまわり畑の迷路
最近では突硝山のカタクリの花。。。
そんな比布町を私も私の出来ることで応援して行くことにしました。
5月12日の母の日にピピカフェ比布駅にて、妻の妙敦とふたりで包丁研ぎ実演会を開催しました。実演会終了後、比布駅前の桜が満開なのをみつけて、記念にパチリ!
比布町では18回目の包丁研ぎ実演会でした。すると、なんと音信が途絶えていた高校時代の同級生と20年ぶりに再会できたんです。しかもその手には包丁が一本、嬉しかったぁ!
私が比布町で包丁研ぎ実演会をやっているのは知ってたけど、仕事と重なってなかなか来られなかったそうです。
実は「奥さんを数年前に亡くしてからは家に籠りがちらしいよ」と人づてに彼のことを聞き、ずっと気になっていました。
いつかこの包丁研ぎ実演会に彼に来て欲しい、私はそう強く願っていたんです。
彼の顔を見た瞬間、私は何故か言葉にならなくて「やったー」と心で叫んでいました。
彼は一時間程、私の包丁を研ぐ姿を見ていました。集中している私の横で妻の妙敦と定年後のこと、今の仕事のこと、比布町のこと、ボヘミアンラプソディーのこと、これまでのことを色々話してました。
彼の包丁が研ぎ上がり、別れ際に「会えて良かったよ、俺もっ」たったその言葉にすべてが込められていたように思います。
18回続けてきたからこそ、彼との再会が叶った。
比布町で包丁研ぎ実演会をやってよかったー。ほんとによかった!
どんなことも
続けることは、いつか価値になる
私はこれからも比布町を応援して行きます。
気負わずに私の出来ることで、のんびりと。。。
by 中野 由唱 よしどん