こんにちわ!
中野特殊刃物工業 代表で研師の中野由唱です。
2021年もよろしくお願いします。
今年であれから早10年。
2011年は、私のそれ迄で一番長い一年だったと感じています。
一番長い一年 と言っても時間の経過が遅かった訳ではありません。
むしろ早く感じた。
あまりにも大きな出来事が重なって、人生のターニングポイントとなったということ。
【由唱の意】
私の本名は中野 力 (なかの つとむ) と 読みます。
2011年3月11日、東日本大震災発生。
東日本大震災直後の3月14日から 仕事名として中野由唱(なかのよしあき)を名乗っている。
それはその年の1月から日本刀研師の修業に入った私が、師匠の故 頼住 譲先生に「力 つとむ」を使わずに「由唱 よしあき」を使うようにと言われたからです。
『刀』にとって『力』は鞘から刀を抜いた状態で最も忌み嫌う文字だ。研師を志すのであれば使ってはいけない。
ショックだった。。。
しかし、私はその名前の意味を自分なりに考えて素直に「由唱」を受け入れることにした。
日本刀の由来を唱える人になれ。という頼住先生の思いを感じました。
社会人になってから33年間、刃物屋として生きて来た私です。日本古来の刃物の文化を後世に伝えて行きたい。 日本刀一筋80年の尊敬する師匠から授かった名前は天命とも思えた。
【運命的な出逢い】
更にその5日後の3月19日 旭川中小企業大学でのエクスマ(エクスペリエンスマーケティングの略)創始者 藤村正宏先生の講演を初めて聴講。
- 「モノ」ではなく「体験」を売る
- 安売りするな!「価値」を売れ!
という藤村先生の教えは余りにも衝撃的でした。私はそれからモノの伝え方をはじめから学んでいる。
【2011年から10年】
この2つが私の人生に鮮やかな色を付けてくれた。
【新たなる出発】
今、人間を試すかのように現れた新型コロナウイルスの感染拡大は未だ歯止めが掛からない。 その昔、人類は刃物という道具を創り出すことで大きな口や鋭い牙を持たずして動物の肉を食べて数十万年もの間 生き延びて来た。 災害からの復興の早さにも目を見張るものがある。
人類の英知は不可能を可能にする証明だ。
時々亡き日本刀研師の師匠の道場に掲げてあった〝精研〟の2文字を思い出す。
一点の曇りも無い無心の研ぎ。精神集中の研ぎ。
今コロナ禍にあって、改めて思うこと。
それは〝日本の刃物研ぎの文化〟を 志ある人に伝えたいと思っている。
人工知能やロボットに真似の出来ない技能を後世に伝えたいですからね!
伝える方法はリアルでもオンラインでも同じだと思っている。
人類の英知は不可能を可能にするのだから。
2021年は更に行動を加速させます。
こんにちわ
中野特殊刃物工業 の 代表で 研師 中野由唱 です。
2020年4月に札幌で北海道新聞社主催 文化教室【日本刀の講座】の序章を担当することになりました。
そこで、代表的な日本刀にまつわる歴史話をします。
忠臣蔵は誰もが知る元禄の世の出来事。
でも、1702年の吉良邸討ち入りの時代にそば屋は存在しなかった。
では、そば屋はいつからあったのか?
素朴な疑問が湧いてきて、蕎麦について調べてみた。
日本人の主食と言えば米、稲作の始まりは今から3000年ほど前の縄文時代。
では蕎麦は?と言うと、なんと約9000年前から!
高知県の遺跡から9300年前のそばの花粉が発見されているのです。
【そばの殻はめちゃ硬い】
殻があまりに硬いことから、蕎麦は主食と言うよりも凶作のための備蓄食品として栽培されさいました。
鎌倉時代(1185年〜)になって中国から石臼が伝わり、そば粉の大量生産が容易になったのです。
でも当時は「そばがき」や「そば焼き餅」といった団子や餅の形状で食べられていました。
現在のように麺状の蕎麦が登場したのは室町時代(1378年〜)との説もありますが、はっきりと資料に残っているのは江戸時代(1603年〜)のもので日本最初の料理本、「料理物語」です。
西暦1643年(寛永20年)に出されたこの本には蕎麦切り(麺状のそば)の作り方が書かれています。
そしてその当時、麺状のそばはお湯で茹でるのではなく蒸籠で蒸していました。
現在も「もりそば」を「せいろそば」と呼ぶのはその名残りなんです。
ただ当時はまだ蕎麦よりうどんが主流で、そば屋が一般的になるのは、いわゆる二八そばが出てくる元禄15年より少しあとのことです。
十割そばは、そば粉を糊化させたものを「つなぎ」としてそば粉だけで作った蕎麦のこと。
切れ易く蒸籠に乗せて蒸し、そのまま客に出す形の蕎麦が主流だった。
江戸時代の後期(1730年〜)になってそば粉と小麦粉を混ぜた蕎麦が広く出回り、現在のように茹でる蕎麦が主流とって屋台のような一杯ずつ出す形の蕎麦が完成したのです。
二八そばの名称の由来は粉の割合から、
当時一杯が16文だったことから(2×8=16)のニ説ある。
「蕎麦切り」を今は単に「そば」と呼んでいます。
昔も今も変わらないのは、十割そばでも二八そばでも 蕎麦切り包丁 の切れ味が良いと、切った麺が角張って〝のどごしスッキリ〟で旨さが増します。
当時の蕎麦切り包丁はどんなで、どんな研ぎをしていたんだろうか。
思いは無限に広がります。。。
by 中野由唱 よしどん
こんにちわ
創業62年の刃物専門店 中野特殊刃物工業 研師 中野由唱です。
巷ではお歳暮商戦真っ只中ですが、お歳暮とは「正月のお供え物という役割でもあった為、12月13日から贈るようになった」と何かに書いてありました。
12月13日は昔から正月の準備を始める日、つまり「正月事始め」の日なのです。
すす払い
一年の汚れを落として歳神様をお迎えする為の儀式。
大店(おおだな)ではすす払いできれいにし終えたら店主を胴上げして祝宴を催した、とか。
一年の汚れをきれいに落とせば落とすほど、正月に歳神様が多くの福を与えてくださる。と考えられていました。
松迎え
歳神様をお迎えする為の門松や、おせち料理を作る時に使うかまど用の薪を取りに行く日。
今では門松やしめ飾りを家庭で作るのは珍しくなりました。
年男
その家で先頭を切って正月準備を行い、みんなを仕切る家長のこと。
迎える新年の干支に生まれた人のことではありません。
年男は現場仕事で、力も体力も必要なので歳を取った家長から次第に長男だったり、奉公人の若い男性が役割を担っていったそうです。
今ではお母さんが年男、という家庭も多いのではないでしょうか。
つまり12月13日という日は
- すす払いをして
- 松迎えの為に薪を取りに行き
- 年男が陣頭指揮をとる
正月準備の初日という大切な日なのです。
今から317年前の五代将軍徳川綱吉の世 元禄15年(西暦1702年)12月14日に現在の東京都墨田区本所にあった吉良邸では正月事始めを終えたばかりの招待客と100人程の家来も含めて大茶会が催された。
赤穂浪士の討ち入りの日は、ただ偶然に吉良邸で茶会があった日ではなく日本人の風習・習慣を大切にする心がそうさせた、必然のその日だったのです。
慶長8年(西暦1603年)2月12日、徳川幕府樹立から実に100年目のことです。
歴史は過去の出来事です。しかし時は太古の昔から延々と繋がっているもの。
時も人も「間」という空間ですべてが繋がっている、だから「時間」と「人間」なんだ。
日本刀を眺めていると、300年という時間は紛れもなく繋がっている。
と、そう感じた令和元年 師走の12日の深夜です。
by 中野由唱 よしどん
こんにちは中野特殊刃物工業の中野由唱です。
創業62年の中野特殊刃物工業は〝家具の街〟旭川にあって、長年 木工加工用刃物の設計と製作、メンテナンスに関わってきました。
ですが、あまり知られていない一面があるのです。それは食品加工用の刃物にも対応してきた、ということです。
20年前までは、秋になると稲刈りのコンバインやビートの粉砕刃のメンテナンスに追われていました。
そして業務用のスライサーや包丁も研ぎました。当時、包丁は製造メーカーと同じように機械を使って仕上げていたんです。
私が砥石を使った『手研ぎ』に魅かれ始めたのはこの頃からです。
手研ぎ仕上げの滑らかさは、「機械では絶対に出せない」と、そう直感したからです。
そして、家庭の包丁がどれだけ無理して、我慢して、切れないまま使われているかを知ったのです。
それから徐々に業務用包丁から家庭用包丁にシフトして、今は年間1,200本ほどの家庭用包丁を研いでいます。
直線的な研磨機の動きに対して、人の手の動きは自然に曲線を描き滑らかです。
機械の動きとは異なっています。
実はこの自然の曲線が包丁にとって重要なことなのです。
それは日本刀の反りにも似た要素が含まれているから、、、、、
いかに、刃を持つ手に抵抗なく切れるかということ。
「手研ぎをもっと極めたい」という気持ちから日本刀研師の修業に入って9年。今年は日本美術刀剣保存協会本部の研修会に参加することを許されてたので、7月末に東京で研修を受けてきました。
日本刀は研師が意識して刃を付けるのではない。「自然体で研げば、自然に刃は付くもの」そんなことを学んだ日本刀仕上研磨の研修会でした。
東京から戻ると私はすぐに研ぎたい気持ちが湧き出して、手元にあった刃渡り27センチの牛刀で試してみました。
それまで意識したことは無かったのですが、確かに刃の曲線は自然に出るもの。
意識して造り出すものではないことを実感できました。
大切なことを実感でき有意義な研修でした。
日常の仕事を休んで、お客さんに仕上がりを待って頂きながらも、参加して良かったです。
玉ねぎを切ると涙が出る。ニンジンをきざむとまな板が真赤になる。
そんな世間の常識も、全ては切れない包丁が大前提なのです。
それは野菜の繊維をつぶしているから。
切れ味の鋭い包丁では玉ねぎも目にしみないし、ニンジンでまな板は赤くなりません。
包丁の本当の切れ味を知らない人が多いことは、勿体ないことです!
日本特有の文化である鋼(はがね)の技術。
砥石と研ぎ手の五感を使った手研ぎの技。
私がこの切れ味と技を伝えたいのはこんな人達です。
- 世界の人々に伝えたい。
- 未来の人々に伝えたい。
- 隣家の奥さんに伝えてたい。
そんな思いを更に深めた2019年東京での研修でした。
by 中野由唱 よしどん
中野特殊刃物工業の中野です。
刃物の専門家として工業用刃物の設計や生産現場で、現状でどんな種類の刃物を使うと品質と作業効率が上がるか、などをアドバイスしています。
そして私は、チップソー(丸ノコ)やカンナのような機械刃物と包丁、日本刀を研ぐ研師でもあります。
42年で約2万本の包丁を研いで来ました。チップソー、カンナはその10倍、100倍?
数えたことはありませんが、包丁以上の数です。。
刃物を研ぐ仕事は、単純作業の繰り返し
になりがちで「マンネリ」という言葉がすっぽりはまってしまうほど。
それを打開する為、私はいつも「今より早く」「今より精度を高く」を心掛けています。
もちろん手抜きはなしで!
そしてもうひとつ大事にしていること。それは、砥石の使い方。
手研ぎの奥深さにに魅かれ、日本刀の研ぎの修業に入って9年。
最初は見るものすべてが未経験のことばかり。
中でも砥石の形が「かまぼこ型」?
これには驚きました。
砥石の研ぎ面が平らではなく、中心が高く四角(よすみ)が低くなってるんです。
それまで砥石は、使うと真ん中が低くなるので 平らにならして使ってました。
砥石は平らが理想型だと信じていたんです。
しかし、使ってみて直ぐにその意味が分かりました。
ハマグリ型の日本刀が、美しく研ぎ澄ますことの出来る訳が。
砥石の曲面に合わせるように刀身を縦に横に斜めに大きく揺らしながら研いでゆく、まるで三次元の世界だ。
常識は固定されるものではないことを教えられました。
7月に日本美術刀剣保存協会の仕上げ研ぎの研修に参加のため、梅雨明けして連日猛暑日の東京に行ってきました。
1年前から決めていたことを実行しました。
全国からプロの研師たちが19人、それぞれに経験を積んでいる方々ばかりで海外からの参加もありました。
天然砥石が基本の日本刀の研ぎ。
しかし、天然物はすでに枯渇して 今は京都周辺でわずかに採掘されるだけ。
いわゆる練り物に頼らざるを得ないのです。
ここでも 皆、砥石には苦労していました。誰かが話し出すと直ぐに砥石の選び方、使い方、その癖など各々情報交換の場にもなります。皆の真剣に「研ぎ」を学ぶ姿に圧倒されながら、私もまた真剣でした。
朝9時30分から夕方5時までの3日間の日程もアッという間でした。
砥石の使い方もそれぞれ少しずつ違います。
他人の研ぎをほとんど見たことがない私にとって、又とない勉強になりました。月末の忙しい時期でしたが、東京へ行ってよかったと思います。
世界中で日本にしかない「研ぎ」の文化、ハガネの魅力。
そして、切れの良い刃物を使うことが私たちの暮らしをもっと豊かにしてくれることをたくさんの人に知ってほしい。
私の夢に向かって、学びの心を持ち続け行動することの大切さを強く感じた『学びの旅』でした。
by 中野 由唱 よしどん
こんにちは。
中野特殊刃物工業の代表で 研師 中野由唱です。
今日は私が刃物を研ぐ理由をお話しします。
戦国時代、刀研師は合戦に随行した。そして刀研師は、敵方から真っ先に命を狙われた。
刀で斬り合う戦さでは、太刀(たち)一振りで敵の息の根を断たなければ自分が切られる。
ですから、、、
刀の切れの良し悪しは、命に関わる重要不可欠な要素だった。
その刀の技は現代の和食文化における包丁に受け継がれています。
切れ味の良い包丁で切るりんごは、1時間ほどは色が赤くなりません。塩水に浸さなくても美味しく頂けます。
切った時に、細胞が壊されないから酸化し難いのです。
包丁が切れると美味しくなる理由
-
- 渋味が出にくい
- 加熱した時アクが出ない
- 煮崩れしない
- 食材に損傷が無いから劣化が遅い
- 肉の切断面の凸凹が少ない
- 肉を焼いた時余計な焦げが付かない
- 脂が流れ出ず硬くなりにくい
- 調味料の量が少なくなる
- 栄養価を損なわない
つまり、、、
食材本来の味が味わえる。 食材の美味しさの寿命を延ばし、無駄を減らすことにも繋がる。
食べることは生きること!
日本には四季を彩る和食文化がある。
そこには、、、
和食文化を支える包丁と研ぎの文化がある。
文化とは日常のこと。
和食文化を繋げていくために、私はこれからも刃物と向き合って生きます。
by 中野 由唱 よしどん
めっきり寒くなりました。
旭川にも初雪が降りそうな気配です。
人類が今まで生き残って来れたのは、刃物があったから
紙の裁断、木を切る、壁の穴あけ、玉ねぎやトウモロコシの収穫、肉のミンチ、ペットボトル再生の為の粉砕、包丁やナイフ・ハサミなどなど、、、様々な場面で今や私たちの生活に欠かせない存在の刃物。
でもちょっと考えてみてください。
切れない刃物を無理して我慢して使っているってことありませんか?
日本の刃物の原点は日本刀です。
戦国時代、刀が切れないのは命とり。
一振りで相手を仕留めなければ自分が切られる、だから刀は常に切れる状態にしておく必要があった。
合戦に同行した研師が命を狙われたのは、そんな理由からです。
日本には世界から見ても類の無い、刃物と研ぎの文化があるのです。
刃物は使えば切れなくなるもの、研ぎなが使うのが刃物です。
刃物は切れるから刃物で、切れないのは刃物ではありません。
単純ですが、そのことを思い出してほしい。
「刀とは抜かずに使うものなり。刀とは抜くと力となる、しかし抜かぬこと。抜かずに収めることが刀本来の役割である。」
本阿弥流日本刀研師の師匠から「由唱」の名を授かった時、日本の研ぎの文化の由来を唱えることが私の天命と悟りました。
切れ味の良い刃物は人間の生活を豊かにするもの。
研ぎながら使い続ける日本の文化を大切にします、そしてそのことを伝えて行きます。
by 中野 由唱 よしどん
2018年1月8日 成人の日
62年の人生で最大のピンチ【命の危険】を感じた火災発生。2017年12月26日 午前3時に自宅マンション2Fより出火、6Fの自宅脱出。これを何とか無事に越えられた。
今、命が私を生きている。
まずはそのことに感謝します。
時は遡り、1975年1月15日 成人の日。当時、大学生だった私(19才)は この日引っ越しをしていた。
千葉県松戸市の下宿から市川市の木造アパートへ!
下宿のおばちゃんが体調を崩し「もう、あんたの面倒みれなくなったよ」とのお言葉が突然に降りてきた。それから大急ぎでアパート探し、、、、(汗)
【駅から徒歩10分】これを条件に不動産屋さんをハシゴした。
「3月には空きが出る」という物件ばかりで中々埒があかない。それでも、何とか1軒探して その日のうちに契約した。
今までの下宿代が月20,000円 風呂あり洗濯付だったのに対して、アパートの家賃は月18,000円 風呂なしトイレ付。親からの仕送り額だけでは生活が苦しくて本八幡(モトヤワタ)駅前の喫茶店でアルバイトをすることにした。当時は時給370円だった。
引越しは至って簡単だった。鎌ヶ谷から軽トラックで応援に来てくれた友だちがあまりの荷物の少なさにびっくりしていた。
食事付・洗濯付の下宿で、おばちゃんが遠縁だったこともあり洗面道具と着替えくらい。布団も無い状況だった。
JR常磐線の北松戸駅とJR総武線の本八幡(モトヤワタ)駅周辺のみんなは元気でいるかなーーーー!
成人式に出られなかったことで43年前の1月15日のことを鮮明に覚えているのだと思う。もちろん、いい思い出としてです(笑)
記憶に薄いが大学で学んだことや喫茶店のバイトで覚えたコーヒーの淹れ方や出し方、プリンアラモードの作り方。そして、周りの人たちにお世話になったこと等々、自分の経験して来たこと全てが今の自分に繋がっているのだ、と 近頃 強く思う。
還暦を迎えた時、私は日本刀研師の師匠を見習って「85才まで現役でやる」と宣言した。そこには、少しでも師匠に近づきたいという気持ちがあるからだ。これからも刃物に関わって行きたい。五感を鍛えるような無駄なことをもっと体験したい。
これらの縁を大切に生きたい。
今日を楽しむために
by中野由唱 よしどん
2017年4月29日 土曜日 天気は・・・?
研師はひと振りの刀剣を仕上げる迄に18段階の工程をおよそ30日掛けて研ぎ上げる。
本阿弥流『研初めの儀式』は、その最初の段階である「荒研」のみで行われる。
刃欠けを落としたり血錆をとったり、師匠と弟子たちの息づかいが徐々に荒くなる。
刀身が輝きを取り戻して行く様は、まるで日の出の瞬間を迎えた朝日を見ているようなまぶしさを感じてしまう程だ。
日本刀は「荒研」が大事だ!
美しい仕上りになるかどうかが決ってしまう程、大事だ!
「荒研」をしっかり務めなければ、後の工程でどんなに手間を掛けても その仕上りが美しくなることはない。
40年間 刃物に携わってきて私が思うこと、それは・・・・
【刃物の基本は土台にある】ということ。
どんなに見た目に綺麗にいい刃を付けても、土台が悪ければ鋭い切れ味は実現しない。
土台の傷みや狂い歪みを取り除かなければ、刃物は充分に働いてはくれないものだ。
刃先を研ぐだけでは本当に研いだことにはならない。
やはり、土台から基本通りに手入れすることが「研ぐ」ということになる。
近頃、そんなことを考えながら砥石と向き合っている。
包丁研ぎの数も一万本を超えると見えて来るものがある。
日本刀も千振り研ぐと見える世界が変わると思う。
刃物は人類が造り出した最高の道具のひとつ
刃物を研ぎながら使い続けることは日本刀から伝わる日本古来の文化。
私は、この日本の文化を過去から受け継ぎ未来へ繋げたい と願っている。
刃物に関わる者の一人としてそう思う。
by中野由唱 よしどん
2017年 2月12日 日曜日 曇り
あなたは〝他力本願〟の本来の意味を知ってますか?
『もっぱら他人の力にすがって、事をなそうとすること』
これが近代の解釈だと思います。
しかし、これは本来の意味から転じたものなのです。
私の理解でずが・・・
『世の流れに逆らわず、我が身に何が起ころうとも覚悟して前を見て進む』
と、まあこれが〝他力本願〟の本来の意味だと思うんです。
〝他力本願〟とは・・・
積極的に前へ進む能動的な表現なのです。
近代の解釈とは、全く違っていると感じます。
〝他力本願〟本来の意味で自分を見直してみると どうでしょうか?
自分は、これまでの慣習から逸脱していないだろうか・・・?
それとも、逸脱しているのか・・・?
見直した結果、私は事務所の壁掛け時計を撤去しました。
時間に振り回されず、仕事に集中したいから!!
その結果、私の仕事は【研ぎ】から【研ぎ澄ます】へ ステップアップしました。
【研ぎ澄ます】とは、
刃物などを良く研いで一点の曇りもない様にすること。
ふと、気づくと時計の掛かっていた壁の丸いすすけた跡を
見上げている自分がいます。
習慣は簡単には変えられないものですね(笑)
実は・・・
【研ぎ澄ます】には、もうひとつのの意味があるんです。
それは、こころの働きを鋭敏にすること。
【研ぐ】という仕事は
五感をすべて使い、研ぎ澄まして行くことなのです。
あなたも時計を外して一日を過ごしてみませんか。
by中野 由唱 よしどん