最近、研ぎ直しに預かる包丁のなかに刃先の傷んでるものが増えています。
こんにちわ
中野特殊刃物工業(株)代表で 研師 の 中野由唱です。
ホームセンターなどの包丁コーナーには包丁と一緒に簡易研ぎ器が並んでいるのを見かけます。
カラフルで形も可愛い商品が多く、特にコンパクトで初めてでも簡単に使えそうなものが人気のようです。
せっかく作った料理も包丁が切れないと、食材がつぶれてしまい、食材の持つ旨味成分も口に入る前に まな板に吸われてしまいます。
毎日使う包丁はあなたの大切なパートナー!
いつも 切れ味のいい状態にしておきたいものです。
そこで、、、、
みなさん手軽に使える簡易研ぎ器を購入するわけです。
でも、ちょっと待ってください。
その簡易研ぎ器のカタログや取り扱い説明書をよーく読んでみると、こんなことが書いてあるんです。
『 シャープナー(簡易研ぎ器のこと)は刃先を荒らすことにより
一時的に食材への くいつき を良くするもので、砥石による研ぎ直しの代わりではありません。
シャープナーでの 研ぎ だけに頼っていると刃先の強度が極端に落ち、
刃割れや刃欠けの原因になります。
月に1〜2回砥石を使って研ぐことをおすすめします 』
いかがですか?!
簡易研ぎ器は調理中など その場でどうしても切れ味を取り戻したい時にのみ使って下さい。
普段は砥石で研いで下さい。
ということになりませんか?
私がこれまでにお客さんに聞いた限りでは、大多数の方が簡易研ぎ器を砥石の代わりだと思っていて 「繰り返し何度でも使えるものだ」 と、勘違いしています。
説明書にもあったように、簡易研ぎ器を繰り返し使っていると包丁の寿命を極端に短くします。
例えば、20年→1年、10年→3ヵ月、5年→1ヵ月
こんな具合です。
決して大げさな話ではないのです。
そして、更に使い方を間違うと1回の使用で包丁を壊してしまうこともあります。そんな方が今までに10数人はいたかな。。。
「やっとの思いで買ったばかりの包丁なのにーーー」と泣いたお客さんもいらっしゃいました。
私は簡易研ぎ器をお客さんには勧めません。
でも、もし、どうしても、使いたい時は、包丁をすべらすように軽く引く。
しっかり刃を付けたいからと言って、力を入れるのは御法度。
手元から始まり 先端で終わるように 1回または2回 通すだけ。
それ以上は包丁を壊してしまいます。
とにかく、取り扱い説明書をよく読んで、書かれている通りに使ってください。
(私は勧めませんが。。)
プロの料理人は包丁をとにかく大切にします、それは昔も今も変わりません。
プロの料理人は自分が作る料理の出来栄えは、包丁の切れ味が大きく影響することを、料理人自身が知っているからです。
新鮮な食材と上質の出汁、それを腕のいい料理人が調理すれば美味しい料理が出来上がるでしょう。
さらに、もっと作りの良い切れ味バツグンの包丁が加われば
素材の味を活かした
栄養価の高い
舌ざわりの滑らかな
極上の味に変貌するのです。
美味しい料理はみんなを笑顔にします。
- 玉ねぎ切っても涙は出ない
- キャベツの千切りが甘くなる
これらは当然の結果なんだと思います。
包丁研ぎは水と砥石を使う、昔ながらの方法で研ぐ 「手研ぎ」 を お勧めします。
滑らかな切れ味が持続して料理の味がグーンとアップします。
その積み重ねが
家庭料理を楽しいものにしてくれます!
教訓
簡単に研いだ包丁は、簡単に切れなくなる
料理と包丁研ぎは手間を惜しむな!
by 中野由唱 よしどん
今年も『包丁研ぎ方教室』を釧路で開催できることになりました。
こんにちわ、中野特殊刃物工業 代表で研師の中野由唱です。
毎年5月の第2日曜日、母の日に開催している釧路教室も今年で7回目。
受講人数を今までは10人迄に制限し、カリキュラムも生徒さんの包丁研ぎの経験値を考慮しながら、みんなで楽しく過ごせるよう組み立ててきた。
しかし
過去6回の開催で延べ60人に包丁の研ぎ方を指南したが、そのうち実際に自分で研いでいる人はほとんどいない。
「初心者でも分かるように基本をしっかりと教えたのに〜折角研ぎ方を覚えたのに〜なんでー、、、」と思った。
少し折れかけていた私の心をこのふたりが救ってくれた。
丸甲金物(株)の社長 木元章義さん
(株)アシストの社長 浅野葉子さん
ふたりの前向きな言葉に私のやる気が再燃した。
ふたりには感謝しかない。
あ り が と う
新型コロナの影響で5月10日の予定を延期して、9月13日の開催が決まってあれこれと考えている間に
同じように延期になっていた道新文化センター札幌大通教室で7月19日、「日本刀の世界」というタイトルで講演させて貰いました。
日本刀の起源、歴史、仮名手本忠臣蔵など
受講者に興味を持って貰えるように。。
と思っていたのだが〜
結局、持参した刀(水心子正次極)を見て貰った時が受講者全員の目が一番輝いていた。
【百聞は一見にしかず】を改めて痛感した瞬間だった。
私はこれを教訓にするっ。
テクニックよりも日本刀からつながる鋼(はがね)と研ぎの持つ底力を多くの人に体感して貰うことを。
これまで他にも何度か「包丁研ぎ教室」を開催してきた。
2時間程の教室で、研ぎのコツとタイミングさえ分かれば初心者でも研げるようになる、と信じていた。
でも違ってた〜
テクニックだけを伝えて、研ぎの心を置き去りにしていた〜反省。
ここは鋼(はがね)の国 日本だ!
今、和食ブームと共に世界中から注目を集める日本の包丁、そしてその研ぎの文化。
折角日本人なんだから〜
世界一切れ味のいい包丁を、研ぎながら使う日本の文化、日本にしかないこの文化をもっともっと味わって欲しい。
研ぐことも大事だが、美味しい食事で家族円満になることを大切にしたい。
【美味しい食事で家族みんな笑顔になーれ】
包丁研ぎ方教室を通して家族円満の秘訣を伝えたいなぁ。
折角日本人なんだから。
by 中野由唱 よしどん
こんにちわ
中野特殊刃物工業の中野由唱です。
2020年3月29日
新型コロナウィルスの感染で 志村けん さんが亡くなった。
「東村山音頭」でも知られる、東京都東村山市出身 70歳だった。
普段 テレビはほとんど観ない私だが、志村けんさんがどれだけ多くの人から愛されていたかはその後のtwitterニュースを見て分かった。
「一時代を築いたコメディアンは社交的と言うよりシャイで、むしろ内省的」と書かれていた。
テレビの中でしか知らない私は コメディアンは皆 社交的とばかり思っていた。
志村けんさんは 自分の存在理由をトコトン考えるから、逆に利他的になれる。ともあった。
そこから私自身の存在理由を考えてみる
「由来を唱える」という 由唱(よしあき)の名から父の始めた刃物屋で育った私は刃物の日常の役割 と 刃物の先人たちの知恵を伝えることが天命と思っていた。
しかし先日、私がプロデュースした包丁を購入して使ってくれたお客さんからFB投稿で、その切れ味に「素晴らしい」と高い評価を貰った。
素直に嬉しかった。
これからは「顧客のため」ではなく「顧客の喜び」を知るという姿勢が必要なんだ、と感じた。
今回の新型コロナウィルスが終息しても、今後 消費者の行動は慎重になるだろう。
命の危機に直面して「何とか自分だけは助かりたい」という利己的な思いが私の中をよぎった。
だからこそ、本当の優しさが人々から求められるのだろう。
自分が嫌なことはどんな場面でも他人にしてはならない。
私は そう思って仕事をしてきた。
「大量生産、大量消費」の20世紀モデルから「量より質」の21世紀モデルへ と言われながら、なかなかシフトが進んでいないのが現実。
ウィルス感染はゴメンだが、これまでの社会の断捨離を推し進め、真の価値ある社会へシフトさせたいものだ。
志村けんさんは生前こんなことを言ってたそうだ。
「人を笑わせるのではなく、笑われるのが好きなんだ」と。
顧客の喜びを優先する喜劇王の言葉は、まさに利他的で優しさのあるマーケティングを私に示してくれているようだ。
コロナと向き合っているうちに 「つらい人を何とか助けたい」という利他的な思いが私の中から引き出されて仕事にも生かしたいと思った。
志村けんさん、ありがとうございます(合掌)
by 中野由唱 よしどん
こんにちわ
中野特殊刃物工業 代表で 研師 の 中野由唱 (Nakano Yoshiaki) です。
今日は日本人なら 是非 知って欲しいことを お話します。
日本には奈良時代 (西暦710年~) から日本刀に由来する
鋼(はがね)の文化があります。
切れ味と刀身の美しさを求める 日本刀は
世界に類を見ない、日本特有の文化なのです。
そしてその素晴らしさは、日本人よりもむしろ外国人の方が知っているのです。
世界的に高まるヘルシーな和食の人気も手伝い ゾーリンゲン刃物のドイツからもシェフが
日本に切れ味の良い日本の包丁を求めて来日するほど。
今や、世界中から注目を集める日本の鋼 (はがね) 包丁です。
では、その本家本元の日本の実状はどうなのかというと、、、、
プロ・アマを問わず料理をするほとんどの人が切れない包丁を
無理して
我慢して
力を入れて
使っているのです。。。
これはもったいない!
せっかく日本人なんだから
日本の包丁を使って欲しい。
使えば切れなくなるのが刃物です。
砥石を使った手研ぎの技は、世界にはない日本だけのもの。
刃物は研ぎながら使うしかないのです。
質の良い日本の包丁を20年、30年と長く使ってもらいたいものです。
日々のちょっとした気遣いが、あなたの「包丁ライフ」をより楽しく健康的なものに変えてくれますよ。
中野特殊刃物工業で包丁を購入されたお客様に渡している注意書きを紹介します。
(どなたにでもできますよ!)
包丁のお手入れ
- ◎清潔にしておくことが大切です。
- ◎使用後は、すぐに洗いよく水気を拭き取り乾燥させてから収納して下さい。
- ◎食器乾燥機・食器洗浄機などには対応しておりません。
- ◎火であぶったり、火の当たる場所などに保管しないで下さい。
以上、切れ味が悪くなる原因になりますので、ご注意下さい。
中野特殊刃物工業(株)研師 中野由唱
How to take care of your knife
◎It is important to keep it clean.
◎Please clean, wipe off water, and dry your knife after each use.
◎This knife is NOT dishwasher-safe or dishdryer-safe.
◎Please keep your knife away from flame.
Please take good care of your knife to keep it sharp for a long time.
It is important to wipe off the water.
Yoshiaki Nakano, Knife Grinder
Nakano particular Blade Industry Co.
食べることは生きること!
切れ味のいい包丁で、毎日の料理を楽しくしてください。
by 中野由唱 よしどん
こんにちわ
中野特殊刃物工業 の 代表で 研師 中野由唱 です。
2020年4月に札幌で北海道新聞社主催 文化教室【日本刀の講座】の序章を担当することになりました。
そこで、代表的な日本刀にまつわる歴史話をします。
忠臣蔵は誰もが知る元禄の世の出来事。
でも、1702年の吉良邸討ち入りの時代にそば屋は存在しなかった。
では、そば屋はいつからあったのか?
素朴な疑問が湧いてきて、蕎麦について調べてみた。
日本人の主食と言えば米、稲作の始まりは今から3000年ほど前の縄文時代。
では蕎麦は?と言うと、なんと約9000年前から!
高知県の遺跡から9300年前のそばの花粉が発見されているのです。
【そばの殻はめちゃ硬い】
殻があまりに硬いことから、蕎麦は主食と言うよりも凶作のための備蓄食品として栽培されさいました。
鎌倉時代(1185年〜)になって中国から石臼が伝わり、そば粉の大量生産が容易になったのです。
でも当時は「そばがき」や「そば焼き餅」といった団子や餅の形状で食べられていました。
現在のように麺状の蕎麦が登場したのは室町時代(1378年〜)との説もありますが、はっきりと資料に残っているのは江戸時代(1603年〜)のもので日本最初の料理本、「料理物語」です。
西暦1643年(寛永20年)に出されたこの本には蕎麦切り(麺状のそば)の作り方が書かれています。
そしてその当時、麺状のそばはお湯で茹でるのではなく蒸籠で蒸していました。
現在も「もりそば」を「せいろそば」と呼ぶのはその名残りなんです。
ただ当時はまだ蕎麦よりうどんが主流で、そば屋が一般的になるのは、いわゆる二八そばが出てくる元禄15年より少しあとのことです。
十割そばは、そば粉を糊化させたものを「つなぎ」としてそば粉だけで作った蕎麦のこと。
切れ易く蒸籠に乗せて蒸し、そのまま客に出す形の蕎麦が主流だった。
江戸時代の後期(1730年〜)になってそば粉と小麦粉を混ぜた蕎麦が広く出回り、現在のように茹でる蕎麦が主流とって屋台のような一杯ずつ出す形の蕎麦が完成したのです。
二八そばの名称の由来は粉の割合から、
当時一杯が16文だったことから(2×8=16)のニ説ある。

「蕎麦切り」を今は単に「そば」と呼んでいます。
昔も今も変わらないのは、十割そばでも二八そばでも 蕎麦切り包丁 の切れ味が良いと、切った麺が角張って〝のどごしスッキリ〟で旨さが増します。
当時の蕎麦切り包丁はどんなで、どんな研ぎをしていたんだろうか。
思いは無限に広がります。。。
by 中野由唱 よしどん
こんにちわ、中野特殊刃物工業(株)代表取締役の中野由唱です。
1955年生まれの私は、子どもの頃は左利きだった。小学校入学を前に大正生まれの両親から、『箸と鉛筆は右手で使いなさい』と言われて、、、右手使いを特訓した。
自分の名前をチラシの裏に書いて、書いて、書いて。
左手を身体に縛り付けて、右手だけでの食事。
まるでテレビアニメ「巨人の星」で飛雄馬が父一徹に左投げの猛特訓を受けるシーンみたいだった。(もっとも私の方がアニメより先ですけどー)
10日ほどで箸と鉛筆は右手でも使えるようになった。
私と年子の姉も左利きで同じ経験をしている。
私と同じか上の世代の人には珍しくない話なのでしょうが。
なぜ無理矢理 左から右にする必要があるのか、正直言って親には反発していた。
そして、ここから性格が湾曲してしまった、と自己診断しています、、、笑
でも、これがきっかけで「訓練で利き手は変えられるもの」とインプットされた私はその後、次第に人間に利き手があること自体疑問に思うようになっていったのです。
私が小学生の頃、スポーツと言えば
◾️野球
◾️ドッヂボール
◾️冬のスキー
ぐらいでした。
でも、中学校に入ると色んなスポーツに触れる機会が出来ます。
⚫︎卓球
⚫︎バトミントン
⚫︎バレーボール
⚫︎バスケットボール
⚫︎サッカー
と全て、両手両足でプレーしました。
当時(昭和42年)大流行だったボーリングも教えてくれた義兄が右利きだった、と言うだけで右で覚えて、、、でもいつしか左になっていたんですけどね!
こんなエピソードがあります。
中学の3年間私は野球部でした。
野球の場合、左利きだと守備のポジションが限定されます。
投手か
一塁手か
外野手かって
自分の可能性が摘み取られるようでいやだった。
それで野球だけは右でプレーしてました。
(結局3年間外野手でしたけど、、)
それが中2の夏休み前、部活終了後の雑談でコーチの先生が「うちのチームには左が居ないなぁ」と。
そこで私をよく知るチームメイトの沢谷君がひと言、「先生、中野は本当は左なんです」と。。
先生の目が一瞬光ったように見えました⁉︎
結局、それまで補欠だった私は『左と言うだけでライトのレギュラーをゲットしたのです。
翌日から右投げ右打ち→左投げ左打ちに転向。
中2の夏休みは
右手にはめるクラブの感触とボールのキャッチング
左打席でのクリップとスイング
と、この2つをテーマに猛特訓に明け暮れたことは言うまでもありません。
『人間は手も足も左右同じものを持っているのだから、左右同じように使えて当たり前』
今も私はそう思っています。
私の仕事は、機械の仕様や用途に合わせた刃物の設計・メンテナンス。
つまり、刃物を研ぐと言うこと。
機械刃物の種類は20ほど、材質ちがいやサイズちがいを加えると100種類。
再研磨や成型加工は刃物の種類に応じて専用研磨機を使うのですが、刃物には右回転と左回転のもの。右向きと左向きのものがあります。
機械によって左右対照の操作を必要とするものもあり、私には好都合!
でももし左右どちらかしか使えないとしたら、作業に合わせた治具をたくさん用意しなければなりません。
その時間と費用は大きい負担になります。
日本刀や包丁を研ぐ時も左右両手を使えることは、刃渡りの長い太刀や形の特殊なそば包丁・中華包丁を研ぐ場合かなり有利になります。
60歳を過ぎた今「私は選ばれた人間なんだ」と強く感じるのです。
私にしか出来ない仕事で、周りの人たちをしあわせにしよう!
研ぎの修業の終わりが見えて来ないのも、私の刃物人生がまだまだ続くと言うことなのでしょうね。
by 中野由唱 よしどん
こんにちは中野特殊刃物工業の中野由唱です。
創業62年の中野特殊刃物工業は〝家具の街〟旭川にあって、長年 木工加工用刃物の設計と製作、メンテナンスに関わってきました。
ですが、あまり知られていない一面があるのです。それは食品加工用の刃物にも対応してきた、ということです。
20年前までは、秋になると稲刈りのコンバインやビートの粉砕刃のメンテナンスに追われていました。
そして業務用のスライサーや包丁も研ぎました。当時、包丁は製造メーカーと同じように機械を使って仕上げていたんです。
私が砥石を使った『手研ぎ』に魅かれ始めたのはこの頃からです。
手研ぎ仕上げの滑らかさは、「機械では絶対に出せない」と、そう直感したからです。
そして、家庭の包丁がどれだけ無理して、我慢して、切れないまま使われているかを知ったのです。
それから徐々に業務用包丁から家庭用包丁にシフトして、今は年間1,200本ほどの家庭用包丁を研いでいます。
直線的な研磨機の動きに対して、人の手の動きは自然に曲線を描き滑らかです。
機械の動きとは異なっています。
実はこの自然の曲線が包丁にとって重要なことなのです。
それは日本刀の反りにも似た要素が含まれているから、、、、、
いかに、刃を持つ手に抵抗なく切れるかということ。
「手研ぎをもっと極めたい」という気持ちから日本刀研師の修業に入って9年。今年は日本美術刀剣保存協会本部の研修会に参加することを許されてたので、7月末に東京で研修を受けてきました。

日本刀は研師が意識して刃を付けるのではない。「自然体で研げば、自然に刃は付くもの」そんなことを学んだ日本刀仕上研磨の研修会でした。
東京から戻ると私はすぐに研ぎたい気持ちが湧き出して、手元にあった刃渡り27センチの牛刀で試してみました。
それまで意識したことは無かったのですが、確かに刃の曲線は自然に出るもの。
意識して造り出すものではないことを実感できました。
大切なことを実感でき有意義な研修でした。
日常の仕事を休んで、お客さんに仕上がりを待って頂きながらも、参加して良かったです。
玉ねぎを切ると涙が出る。ニンジンをきざむとまな板が真赤になる。
そんな世間の常識も、全ては切れない包丁が大前提なのです。
それは野菜の繊維をつぶしているから。
切れ味の鋭い包丁では玉ねぎも目にしみないし、ニンジンでまな板は赤くなりません。
包丁の本当の切れ味を知らない人が多いことは、勿体ないことです!
日本特有の文化である鋼(はがね)の技術。
砥石と研ぎ手の五感を使った手研ぎの技。
私がこの切れ味と技を伝えたいのはこんな人達です。
- 世界の人々に伝えたい。
- 未来の人々に伝えたい。
- 隣家の奥さんに伝えてたい。
そんな思いを更に深めた2019年東京での研修でした。
by 中野由唱 よしどん
SNSで友だちになった 小柳ひろみさん(ひろみん)、ご主人と息子さんで町の電気屋さんこやなぎでんきを営んでいます。
3人とも私の包丁研ぎ教室の生徒さんです。
そんなこやなぎでんきさんが今年の2月、6月、に続いて8月25日に包丁研ぎ実演会を企画してくれました。
心を込めて研いだ包丁を、みなさんに喜んでもらえるのがとても嬉しいです。
包丁が切れるというだけで、料理がそれまでとは全く違う美味しさになるんです。そして苦手な人も料理が楽しくなる。
でも一番嬉しいのは、研ぎ上がった包丁を手にして笑顔で「この次はいつ中標津に来るの?」と言ってもらえること!

8月25日 日曜日 午前10時から受付は午後3時まで
包丁研ぎは一本1,000円〜2,000円が目安です。別料金ですが、そば包丁も研ぎます。
中標津町のこやなぎでんき店内にて 電気圧力鍋とヘルシオホットクックの実演もあります。
希望の方には、私がプロデュースしたオリジナル三徳包丁も販売します。
左利き用も用意しますので 初めての方も気軽に声を掛けてくださいね!
ベイシストのご主人による 前日24日のjazz nightも楽しみです🎶
それじゃみなさん8月25日中標津でお会いしましょう!
by 中野由唱 よしどん
忙しい毎日を過ごす現代人。
自分の周りの環境の景色や音、空気の匂いやそよぐ風、そういうもの感じている人 少ないんじゃないかな?私はたまに感じる程度です。
そして、それらはすべて五感で感じるもの。
研ぎ澄ます
という言葉があります。ほとんどの人は「耳をそばだてて、神経を研ぎ澄ます」などと心の動きを鋭敏にする意 と思っているでしょう。もちろん間違いではありません。
でも本来の意味は
刃物などを良く研いで、少しの曇りもないようにする。
つまり、刃物をしっかり研ぐことを研ぎ澄ますと言うのです。
そして、研ぎ澄ますことは五感を使うことなのです。
現代人は毎日の暮らしの中で、この五感をつかう機会がどんどんと無くなっています。人間だけが持つこの五感、大切にしたいですよね。
以前「包丁研ぎを教えてください」と妹背牛町の女性農業者グループさんから声をかけていただき、そのお一人が包丁研ぎ教室の感想を日本農業新聞北海道版に寄稿してくれました。
食と農 広がる輪 3年前のものですが、投稿者ご本人から了解を頂いたのでここにご紹介します。
「包丁を研ぐ時間」
一昨年、女性農業者グループ昴(うずら)で包丁研ぎ講習会を行った。全員が農家であり主婦であるメンバー、興味の度合いは言わずもがなである。
講師はその時包丁研ぎにはまっていた私の友人から、師とする研師を紹介してもらい旭川から招いた。
研ぎ方そのもの(持ち方・手順・研ぐ角度など)はもちろん、研ぐ前に砥石を30分以上水に浸けておくこと、包丁の保管の仕方(水気・湿気は厳禁)、木製のまな板が一番刃を傷めない、ということなど たくさんのことを教わった。
用意されたサンプルの包丁は当然だけれど、どれも切れ味抜群で 参加した8人のメンバーで代わる代わる試し切りすると、黄色い歓声が。切れ味の良い包丁だと野菜がより薄く細く切れるし、お肉がムニュとではなくサクッと切れる。
料理が楽しくなり、切る作業も安全になるのだ。
ユーモアもあり親しみやすいお人柄の研師は刀も研ぐとのことで、そのまなざしにメンバー一同すごみを感じた。それぞれ持参した包丁も蘇らせてもらって、感謝感激の講習会となった。
あとは自宅で練習あるのみで、さっそく自分なりに研いでみるも 刃の〝返し〟の感覚をつかむのにしばらく試行錯誤した。そのうちに普段使いの私の包丁は、研ぐ角度が間違っていた上に 持ち前の馬鹿力も手伝ってか、研ぎ過ぎてペティナイフのように小さくなってしまった。
そうして昨夏に、「昴(うずら)」メンバーで講師をしてくれた研師経営の刃物店に出掛ける機会があった。講習会に参加していなかったメンバーも、話を聞いて試し切りさせてもらうことができて、砥石や包丁を購入するメンバーも多数。
私も再度研ぎ方へのアドバイスをもらい鋼(はがね)の包丁を買った。大満足の切れ味の包丁は、毎日使う台所の相棒であり宝物になった。
日々は移り動いていて、雪解け時期からこの春は特に考えることも多く、気が付けば包丁研ぎから遠ざかりがちになっていた。
思い出したように久々に研いでみると、集中して刃と向き合う時間は不思議と心も落ち着かせてくれた。
「少し余裕が出て来たのかな」と、自分の内面とも向き合ってみる。切れ味もよくなり一石二鳥、これからも包丁を研ぐ時間を大切にしたい。
(橋向美月・妹背牛町の米農家)
五感を使った包丁研ぎは集中するとストレス解消にもつながります。
何でも簡単で手軽になっている世の中です。しかし簡単に研げるものは、簡単に切れなくなる。それが刃物です。
みなさんも研ぎ澄ますを是非実践してほしいものです。
by 中野 由唱 よしどん
こんにちは
中野特殊刃物工業の代表で研師の中野由唱です。
中野刃物は今年で創業62年になります。私自身は入社して42年、平成元年に二代目社長となりました。
刃物の仕事をしていると、誰もが切れない刃物を無理して我慢して使っていることに驚きます。
刃物は切れるから刃物なんです。
そんなことを「周りの人たちにもっとうまく伝えたいっ」と思って、私は2016年
【安売りするな、価値を売れ】
というエクスマ実践塾に参加しました。
そして、その年の12月にスタートした比布町エクスマ化プロジェクト2ケ年計画。
2歳から旭川に住んでいて、父が時々遊びに連れて行ってくれた比布町。
ぴっぷスキー場や塩狩峠スキー場
いちご狩りやタケノコ狩り
ひまわり畑の迷路
最近では突硝山のカタクリの花。。。
そんな比布町を私も私の出来ることで応援して行くことにしました。
5月12日の母の日にピピカフェ比布駅にて、妻の妙敦とふたりで包丁研ぎ実演会を開催しました。実演会終了後、比布駅前の桜が満開なのをみつけて、記念にパチリ!
比布町では18回目の包丁研ぎ実演会でした。すると、なんと音信が途絶えていた高校時代の同級生と20年ぶりに再会できたんです。しかもその手には包丁が一本、嬉しかったぁ!
私が比布町で包丁研ぎ実演会をやっているのは知ってたけど、仕事と重なってなかなか来られなかったそうです。
実は「奥さんを数年前に亡くしてからは家に籠りがちらしいよ」と人づてに彼のことを聞き、ずっと気になっていました。
いつかこの包丁研ぎ実演会に彼に来て欲しい、私はそう強く願っていたんです。
彼の顔を見た瞬間、私は何故か言葉にならなくて「やったー」と心で叫んでいました。
彼は一時間程、私の包丁を研ぐ姿を見ていました。集中している私の横で妻の妙敦と定年後のこと、今の仕事のこと、比布町のこと、ボヘミアンラプソディーのこと、これまでのことを色々話してました。
彼の包丁が研ぎ上がり、別れ際に「会えて良かったよ、俺もっ」たったその言葉にすべてが込められていたように思います。
18回続けてきたからこそ、彼との再会が叶った。
比布町で包丁研ぎ実演会をやってよかったー。ほんとによかった!
どんなことも
続けることは、いつか価値になる
私はこれからも比布町を応援して行きます。
気負わずに私の出来ることで、のんびりと。。。
by 中野 由唱 よしどん