右利き、左利き、あなたはどっち
- 2020年01月18日
こんにちわ、中野特殊刃物工業(株)代表取締役の中野由唱です。
1955年生まれの私は、子どもの頃は左利きだった。小学校入学を前に大正生まれの両親から、『箸と鉛筆は右手で使いなさい』と言われて、、、右手使いを特訓した。
自分の名前をチラシの裏に書いて、書いて、書いて。
左手を身体に縛り付けて、右手だけでの食事。
まるでテレビアニメ「巨人の星」で飛雄馬が父一徹に左投げの猛特訓を受けるシーンみたいだった。(もっとも私の方がアニメより先ですけどー)
10日ほどで箸と鉛筆は右手でも使えるようになった。
私と年子の姉も左利きで同じ経験をしている。
私と同じか上の世代の人には珍しくない話なのでしょうが。
なぜ無理矢理 左から右にする必要があるのか、正直言って親には反発していた。
そして、ここから性格が湾曲してしまった、と自己診断しています、、、笑
でも、これがきっかけで「訓練で利き手は変えられるもの」とインプットされた私はその後、次第に人間に利き手があること自体疑問に思うようになっていったのです。
私が小学生の頃、スポーツと言えば
◾️野球
◾️ドッヂボール
◾️冬のスキー
ぐらいでした。
でも、中学校に入ると色んなスポーツに触れる機会が出来ます。
⚫︎卓球
⚫︎バトミントン
⚫︎バレーボール
⚫︎バスケットボール
⚫︎サッカー
と全て、両手両足でプレーしました。
当時(昭和42年)大流行だったボーリングも教えてくれた義兄が右利きだった、と言うだけで右で覚えて、、、でもいつしか左になっていたんですけどね!
こんなエピソードがあります。
中学の3年間私は野球部でした。
野球の場合、左利きだと守備のポジションが限定されます。
投手か
一塁手か
外野手かって
自分の可能性が摘み取られるようでいやだった。
それで野球だけは右でプレーしてました。
(結局3年間外野手でしたけど、、)
それが中2の夏休み前、部活終了後の雑談でコーチの先生が「うちのチームには左が居ないなぁ」と。
そこで私をよく知るチームメイトの沢谷君がひと言、「先生、中野は本当は左なんです」と。。
先生の目が一瞬光ったように見えました⁉︎
結局、それまで補欠だった私は『左と言うだけでライトのレギュラーをゲットしたのです。
翌日から右投げ右打ち→左投げ左打ちに転向。
中2の夏休みは
右手にはめるクラブの感触とボールのキャッチング
左打席でのクリップとスイング
と、この2つをテーマに猛特訓に明け暮れたことは言うまでもありません。
『人間は手も足も左右同じものを持っているのだから、左右同じように使えて当たり前』
今も私はそう思っています。
私の仕事は、機械の仕様や用途に合わせた刃物の設計・メンテナンス。
つまり、刃物を研ぐと言うこと。
機械刃物の種類は20ほど、材質ちがいやサイズちがいを加えると100種類。
再研磨や成型加工は刃物の種類に応じて専用研磨機を使うのですが、刃物には右回転と左回転のもの。右向きと左向きのものがあります。
機械によって左右対照の操作を必要とするものもあり、私には好都合!
でももし左右どちらかしか使えないとしたら、作業に合わせた治具をたくさん用意しなければなりません。
その時間と費用は大きい負担になります。
日本刀や包丁を研ぐ時も左右両手を使えることは、刃渡りの長い太刀や形の特殊なそば包丁・中華包丁を研ぐ場合かなり有利になります。
60歳を過ぎた今「私は選ばれた人間なんだ」と強く感じるのです。
私にしか出来ない仕事で、周りの人たちをしあわせにしよう!
研ぎの修業の終わりが見えて来ないのも、私の刃物人生がまだまだ続くと言うことなのでしょうね。
by 中野由唱 よしどん