12月13日【正月事始め】は 赤穂浪士も例外ではなかった
- 2019年12月12日
こんにちわ
創業62年の刃物専門店 中野特殊刃物工業 研師 中野由唱です。
巷ではお歳暮商戦真っ只中ですが、お歳暮とは「正月のお供え物という役割でもあった為、12月13日から贈るようになった」と何かに書いてありました。
12月13日は昔から正月の準備を始める日、つまり「正月事始め」の日なのです。
すす払い
一年の汚れを落として歳神様をお迎えする為の儀式。
大店(おおだな)ではすす払いできれいにし終えたら店主を胴上げして祝宴を催した、とか。
一年の汚れをきれいに落とせば落とすほど、正月に歳神様が多くの福を与えてくださる。と考えられていました。
松迎え
歳神様をお迎えする為の門松や、おせち料理を作る時に使うかまど用の薪を取りに行く日。
今では門松やしめ飾りを家庭で作るのは珍しくなりました。
年男
その家で先頭を切って正月準備を行い、みんなを仕切る家長のこと。
迎える新年の干支に生まれた人のことではありません。
年男は現場仕事で、力も体力も必要なので歳を取った家長から次第に長男だったり、奉公人の若い男性が役割を担っていったそうです。
今ではお母さんが年男、という家庭も多いのではないでしょうか。
つまり12月13日という日は
- すす払いをして
- 松迎えの為に薪を取りに行き
- 年男が陣頭指揮をとる
正月準備の初日という大切な日なのです。
今から317年前の五代将軍徳川綱吉の世 元禄15年(西暦1702年)12月14日に現在の東京都墨田区本所にあった吉良邸では正月事始めを終えたばかりの招待客と100人程の家来も含めて大茶会が催された。
赤穂浪士の討ち入りの日は、ただ偶然に吉良邸で茶会があった日ではなく日本人の風習・習慣を大切にする心がそうさせた、必然のその日だったのです。
慶長8年(西暦1603年)2月12日、徳川幕府樹立から実に100年目のことです。
歴史は過去の出来事です。しかし時は太古の昔から延々と繋がっているもの。
時も人も「間」という空間ですべてが繋がっている、だから「時間」と「人間」なんだ。
日本刀を眺めていると、300年という時間は紛れもなく繋がっている。
と、そう感じた令和元年 師走の12日の深夜です。
by 中野由唱 よしどん